長谷川一夫

今日の午後、高円寺の明石スタジオで、細野辰興作・演出のスタニスラフスキー探偵団公演『貌切り KAOKIRI』を見て来たので、長谷川一夫について書くことにする。
この劇は、1937年に林長二郎の松竹から東宝への移籍の際に起きた「顔斬り事件」を題材にして、その映画化を試みる監督が、ことの真相をロールプレイ劇を重ねることで解明しようとするもの。
その真実は、今となっては誰にも分からないが、不思議な経過の事件だったことは事実である。
さらに、東宝への移籍に怒った松竹の背後にいたのは、後に大映を設立する永田雅一だったことは公然の秘密だった。
だが、この事件後林は、その芸名林長二郎を松竹に返し、本名の長谷川一夫で東宝映画の大スターとして活躍する。
有名なのは、1939年の李香蘭と共演した『白蘭の歌』の公開の時、群衆が日劇を7廻りしたという伝説がある。
この時、長谷川は、「あれは李香蘭ではなく、俺を見に来た観客だ!」と言ったそうだからすごい。
スターはこのくらいに自惚れていなくてはならない。

戦後の東宝争議の時、反ストライキの首謀者は実は長谷川一夫だったのだが、組合側には、監督の衣笠貞之助がいた。
衣笠には松竹京都時代に『稚児の剣法』で自分を売り出してくれた恩義があるので、表立って反組合側の運動ができなかったというのは、この人らしい気がする。
同様に、山田五十鈴も、組合側を離れるのだが、愛する男が衣笠だったので、彼女もすぐに新東宝を離れてしまうことになる。
そして、長谷川の自分の劇団新演技座が大赤字になった時、それをすべて受け入れてくれたのが、大映の永田雅一だと言うのだから芸能界は実に面白い。
そして、大映で二枚目が無理になると、再び東宝演劇部の長谷川歌舞伎で大活躍する。

現在、日本の商業演劇では、洋楽を使用しているが、その開祖は、東宝歌舞伎での長谷川の和物ショーの『春夏秋冬』である。
ここでは、冒頭のセリ上がりの時、豪華衣装で長谷川と女優が姿を現すが、そのバックが『ビギン・ザ・ビギン』と言った具合なのである。
つまり、「松健サンバ」の元は、実は長谷川一夫なのである。
また、歌舞伎劇の和物での照明の使用も、この人が最初なのである。
私は、東京宝塚劇場で1976年の正月に長谷川一夫主演の『半七捕物帳』と『春夏秋冬』を見ているが、結構面白かった記憶がある。
彼は長谷川歌舞伎では、脚本、演出、美術、音楽、衣装のすべてを自分の手で行ったそうで、演出家、プロデューサーの才能があったと言えるだろう。
1970年に大映が倒産した時、彼は自分が持っていた料亭「賀寿楼」を売却し、大映の負債の清算に当てたとのこと、律儀な人だったわけである。

役者としては、演技はともかく、声は悪声だったと思うが、その声の甘さは他の男優もまねできないものだった。
溝口健二の映画『近松物語』では、素晴らしい演技を見せているのだから、すごいと言わざるを得ないだろう。
やればできるのに、他の作品ではろくにきちんと演じていなかったのだろうか。
その意味ではやはり天性の役者だったと言うべきだろう。

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コメント

  1. wangchai より:

    近松物語
    いつもコメントありがとうございます。

    「近松物語」の長谷川一夫のダメ男ぶりは本当に素晴らしいですね。同時に香川京子についても、彼女のベスト作品だと自分は思っています。この2人の情感こもった演技を作り上げた溝口健二監督には恐れ入ります。

    馬に乗って、2人が刑場に向かう時の表情が目に焼き付いています。