荒井晴彦先生の誤解

先日、ネットで「西部ゼミナール」見たら、荒井晴彦先生が、「黒澤明作品を1本も見ていない」と豪語していた。
それはそれで結構だが、その理由が全くの誤解に基づくものなので、笑ってしまった。
要約すれば、黒澤は強者、権力を持つ者の立場で映画を作っているので、自分は反対に敗者の立場から映画をやって来たので、黒澤を見ないこととしたと言うのだ。
これは黒澤映画に対する全くの誤解である。
少なくとも戦後の、昭和24年の『静かなる決闘』以後の黒澤映画は、戦争に彼が行かなかったことの贖罪、言い訳の映画である。
では、「『用心棒』や『椿三十郎』があるではないか」と言われるかもしれないが、これは黒澤作品というよりも菊島隆三映画である。
豪快で英雄的な男性像は、黒澤の願望であっても、黒澤の本質ではない。
彼はむしろ弱弱しいセンチメンタリストだと自分でも言ってるのである。
荒井先生には、ぜひ誤解を解いて黒澤映画の「めめしさ」をよく味わっていただきたいと私は思う。

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