花井蘭子は、前から好きな女優で、日本的な楚々とした美人だが、今はこういう感じの女優も女性も少なくなったと思う。
「姿三四郎」のお澄
阿佐ヶ谷ラピュタに頑張って彼女の映画を2本見た。
1938年の石田民三監督の『花ちりぬ』で、脚本は『女の一生』の森本薫で、30代の時にシナリオを読み、よくできた脚本だと感心していたが、実際に見たのは初めて。
元治元年7月の京都祇園のお茶屋で起こるドラマで、幕末の禁門の変になるときの劇で、勤王佐幕の衝突もあるが、男は一人も出ず、女優ばかりの劇と言う構成がまず驚く。
街頭での斬り合いや激闘は音だけで表現されている。
女優だけのドラマと言う点では、後に三島由紀夫が書いた名作『サド侯爵夫人』にも影響しているのかもしれない。
お茶屋の娘は花井蘭子で、長州藩の男と恋に落ちているらしいが、それも禁門の変でどうなるのか、と言うところで終わる。
この外部では戦争が起きているが、祇園では何も知らずに右往左往し、最後は大砲の音に驚いて逃げ出そうとしている、この女性たちは、まるで当時の日本人の姿をアナロジーしているのかもしれない。
この年の前年には、山中貞雄は『人情紙風船』を作って中国への戦争に出征し、この『花ちりぬ』が公開された1938年の2か月後の8月には病死してしまったのだ。2本の作品はよく似ていると思う。
花井蘭子の他、若い芸者としての堀越節子しかわからなかったので、細かい女性たちの葛藤はよく分からなかったが、名作であることは間違いないだろう。
もう1本の1956年の『幸福はあの星の下に』は、まったく映画史にも出ていない作品だが、実に面白くて笑いどうしだった。
主役は新橋の芸者の木暮実千代と同じく新橋あたりで喫茶店をやっている上原兼、花井蘭子は、元は木暮の朋輩の芸者だったが、今は年下の画家伊豆肇と結婚していて役で、全体の狂言回しを務めている。
花井は美人女優として、いつも口数の少ない役が多いが、ここでは喜劇的なやり取りが非常に上手い。
さらに木暮の家のばあやが、三好栄子で、貫録たっぷりなので笑える。
脚本は、戦前から劇作家としての作品も多い八田尚之で、この人はどちらか言えば左翼的な人だが、ここでは花街の人間を上手く描いているのは、さすが。
上原と妻東郷晴子との子供が高校生の久保明だが、本当は芸者の木暮が上原との間に作った子なのであり、その意味では「母物」だが、大映のようにじめじめしていないのは、東宝のセンスだろう。
東郷晴子が純情な女性を演じているので、少々おかしな気がしてしまう。東郷晴子というと、テレビドラマの『女の斜塔』での悪役を思い出してしまうからだ。
東郷は病弱で、ついに死んでしまい、すべてを知っている東郷は、遺言で上原に木暮と晴れて再婚してくれと言い残す。
だが、息子の久保は、「芸者は社会の害虫だ」と純真に思いこんでいるので、上原と木暮は諦めてそれぞれの生活に戻ることにする。
監督は杉江敏男で、ひばり・チエミ・いずみの三人娘映画などが多く娯楽映画の人と思われているが、彼はヒチコックに憧れて監督になったそうで、画面もカッティングも非常に的確で上手い。
音楽は早坂文雄と佐藤勝となっていたが、恐らく早坂の体が悪くて、かなり佐藤が手伝ったのだと思う。
芸者の見習い子として岡田茉利子が出ているが、元大臣の十朱久雄からの水揚げを断って故郷の秋田に戻る。
まあ、この時代では、久保と言い岡田と言い、芸者を若者が肯定するドラマはできなかったのだろう。