「映画、俳句」説

早稲田の映画研究会で同期だった金子裕君と久しぶりに桜木町で飲む。金子君は、1年浪人して入ってきたので年は一つ上で、すでに女性と同棲しているという噂(それは嘘だったようだが)で、色ごとにしか興味がないように誤解していた。

でも、数年前にお会いして話すとむしろ過激な政治青年で、私と大して変わらないことが分かって吃驚した。

私は、映画を見てお話をしているだけの映画研究会に飽き足らず、肉体派の劇団演劇研究会に入ったのだ。金子君は、日活の製作に入り、アルバイト助監督として末期の作品に付いたのである。

丹野雄二監督の黛ジュン映画や『ハレンチ学園』などに付いたとのこと。もちろん、そんなことをやりたかったのではなく、大和屋竺や鈴木清順のチームになる。

鈴木清順は、今もお元気だそうで、いくつか現在の姿を記録させてくれとの話が来るそうだが、絶対に撮らせないとのことで、まだ衰えていないわけだ。

先日、ここにも書いた藤浦敦氏の「清順・自分勝手説」だが、自分勝手だからこそ芸術家だ、と一致する。

金子君は、よく俳句を引用しているので、俳句と映画の関係の話になる。

伊藤大輔は「映画・俳句説」を言っていたはずで、彼も伊丹万作も、俳句王国の愛媛県の出身である。

古池や 蛙飛び込む 水の音

をどうカット割りするか、いろいろと教えてもらう。

映像の組み立ては非常に難しいものである。

                

写真は、彼が漫画週刊誌の連載の体験ルポでチンドン屋をやった時のもので、この時の相棒は、その後『天使のはらわた・シリーズ』で劇画家になる石井隆だったそうだ。

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コメント

  1. さすらい日乗 より:

    金子君は
    末期の日活の助監督と書いたが、ピンク映画で助監督をやり、脚本も書いたが、日活では助監督はやっていない。末期の日活に関わっていたのは、ピロ企画にいた奥さんだったとのメールがあった。
    大学映研の関係で、鴨田好史など、ロマンポルノに移行する、末期の日活でアルバイトをしていた連中とは付き合いはあったようだが。
    正確を期して、訂正して書いておく。