ごひいきの町の六角橋で飲んだ後は、いつも古本屋に寄ると、この本があった。
松竹でプロデューサーをやっていたと言うので、桑野通子と結婚し、桑野みゆきの父親になった斎藤のことだと思って買ったが、別の斎藤だったが、これがなかなか面白かった。
齋藤次男と言っても誰も知らないだろうが、経歴は次の通りである。
製作
- 1960.02.19 伴淳の駐在日記 松竹京都 … 企画
- 1963.04.06 河内の風より あばれ太鼓 松竹京都
- 1963.09.11 あらくれ荒野 松竹京都
- 1963.11.01 続・ニッポン珍商売 松竹京都
- 1964.02.01 現代金儲け物語 松竹大船
- 1964.03.15 続・道場破り 問答無用 松竹京都
- 1964.09.12 渚を駆ける女 松竹大船
- 1965.05.16 その口紅が憎い 松竹大船
- 1965.06.26 おしゃべりな真珠 松竹大船
- 1965.08.21 俺たちの恋 松竹大船
- 1966.02.05 侠勇の花道 ドス 松竹大船
- 1966.05.14 青春の言葉より 風にきけ雲にきけ 松竹大船
- 1966.07.30 おはなはん 松竹大船
- 1966.10.01 おはなはん 第二部 松竹大船
- 1966.12.23 神火101 殺しの用心棒 松竹大船
- 1967.03.25 銀の長靴 松竹大船
- 1967.06.10 人妻椿 松竹大船
- 1967.09.30 純情二重奏 松竹大船
- 1967.11.11 稲妻 松竹大船
- 1968.02.14 惚れた強み 松竹大船
- 1968.04.13 いれずみ無残 松竹大船
- 1968.05.31 新・いれずみ無残 松竹大船
- 1968.10.12 女めくら 花と牙 松竹大船
- 1969.03.15 めくらのお市物語 真っ赤な流れ鳥 京都映画
- 1969.06.21 めくらのお市 地獄肌 京都映画
- 1969.11.15 続・男はつらいよ 松竹大船
- 1970.02.27 新・男はつらいよ 松竹大船
- 1970.09.15 仁鶴・可朝・三枝の男三匹やったるでえ! 吉本興業
- 1971.04.28 男はつらいよ 奮闘篇 松竹大船
まあ大した人ではないが、昭和32年に松竹に入り、京都撮影所でプロデューサーになり、娯楽作品を作る。松竹京都撮影所の閉鎖で、大船に来てプロデューサーをする。
自分でも書いておられるように大した作品はない。だが、驚くことに彼の作品の内、7本も見ている。3本は山田洋次の『男はつらいよ』だが、その他に『神火101・殺しの用心棒』『いれずみ無残』『純情二重奏』『めくらのお市・真っ赤な流れ鳥』である。
最後の3本は、CSだが、前の2本は蓮沼のひかり座と新宿昭和館で見たのである。要は、この程度の作品でも上映する映画館があり、見る観客もあったと言うことだ。
この本で一番面白いのは、彼の経歴には載っていないが、助手を務めた『パイナップル部隊』のことである。
これは、ハワイの日系人部隊が朝鮮戦争に出征するが、3日間だけ日本に滞在する話なのだそうだ。
主人公は、杉浦直樹で、その他ミッキー・安川ら、さらに外人役者も多数出たらしい。斎藤曰く、非常に滅茶苦茶な作品だったとのことで、勿論当たらなかったが、是非見たいものだと思う。
監督は内川清一郎で、彼は大声だけの監督で、適任ではなかったとのこと。
国際誤解の見本のような作品に違いないので、私はぜひ見たいのである。
ネットで調べると、こんなEP盤が出て来た。B面のノーメン・西本と言うのは、ノブオ・西本のことだろう。
ジョージ・島袋、島袋金三郎と共に世界に誇る名曲の『ジャパニーズ・ルンバ』を歌った西本信雄さんであり、これも聞いて見たいものだ。