鶴見俊輔、死去、93歳。
これは、中村とうようさん、吉本隆明の死に続く衝撃である。
日本の所謂評論家の中で、大衆文化を最初に取り上げた方である。
マンガ、娯楽映画、ポピュラーソングなど、彼が評価した者は非常に多い。
訃報の経歴では渡米後となっているが(これは自伝で書かれていることだが)、彼は不良学生で、手に負えなくなったので、両親がアメリカにやったのである。
1941年に日米戦争が始まり、FBIの審問を受けた後に、交換船で日本に戻って来た。
その時、一緒に船に乗っていた、後に立川市長になる阿部行蔵から、
あるアメリカ人に、「こうして日米は戦争になったが、いずれ協力する時がくるだろうと言われたことが忘れられない」と言われたそうだ。
リベラルという枠内ではなく、日本の近代史以後の多くの知識人の中で、偉大な方の一人であることは間違いないだろう。
リベラルな立場で幅広い批評活動を展開し、戦後の思想・文化界に大きな影響力を持った評論家で哲学者の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)さんが死去したことが23日、わかった。93歳だった。 1922年、東京生…
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