『踊子』から国本武春

午前中から用があって、東京の恵比寿と小石川を歩く。

多少の風はあったが、暑い日差しで参ったので、涼しいフィルムセンターに行き、清水宏監督の『踊子』を見る。

言うまでもなく永井荷風原作で、脚本は男嫌いで有名の田中澄江だが、意外にもあまりそれは感じなかった。

それにしても、この浅草の芸人たちの性的道徳のなさはすごい。結局、京マチ子の生んだ子供の父親は誰かわからない。

黒澤明の映画『どですかでん』みたいなものだが、日本の下層社会の実態はつい最近までそうだったのだろう。

地下鉄浅草線から総武線を乗り継いで、亀戸に行き、カメリアホールの国本武春独演会。

『浪曲大辞典』で、最初は長谷川伸の名作『瞼の母』、曲師は沢村豊子で、この名作をたっぷり聴かせる。

その後に、この「たっぷり」から大統領、待ってました、どうするどうする、名調子、などの掛け声のかけ方の講座も非常に面白かった。

浪花節は、よく「浪花節的」と否定的な形容で使われるが、近代の日本の大衆芸能の王者であり、非常に面白いものである。

日本のレコード産業を作ったのも、実は桃中軒雲右衛門等の浪花節レコードだったのであり、1950年代までラジオで一番の人気番組は浪花節だった。

それがなぜ急に人気が落ちたのかは、簡単に言えることではないが、それに代わって出てきたのが、演歌だとは言えるだろう。

演歌は、実は1960年代中頃から出てきた極めて新しい音楽のジャンルなのである。

休憩を挟んだ後半は、『原敬の友情』、平民宰相と言われ人気政治家だった原敬、彼が若い頃に助けられた若林某との友情を謳い上げるもの。

今日では、原敬は「我田引線」に象徴される利益誘導型の政治家で、戦前の政党政治腐敗の素を作った政治家との評価もある。

だが、庶民との友情を浪花節で語られるような庶民性があったのだろう。

その意味では、田中角栄ともよく似たタイプの政治家だったのだろうか。

カメリアホール

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