高円寺「円盤」で隔月毎に行われている岡田則夫さんの『SP講談20世紀之大衆芸能』の今月は、「コミックソングの歴史」で、明治時代から戦後のSP最後の時代まで。
まずは、明治時代のヨカチョロの遊三と言われた三遊亭遊三の弟子小遊三の『流行小唄ヨカチョロ節』から、大正時代の『まっくろけ節』、文の家かしくの『ラッパ甚句』、山村豊子の『オヤオヤ節』など。
これらは、コミックソングと言われれば、そう思えるが、その喜劇性は強くなくて、のんびりした調子である。
山村の歌の中で、「さかもとりょうま」ときちんと言っていた。昭和18年の映画『維新の曲』で、竜馬役の阪妻は、「さもともりゅうま」と言っているのは、例外だったのだろう。
一番驚いたのは、吉田一男という人の『笑って暮らせ』という曲で、岡田さんも、これほどアクの強い歌い方はないと言っていたが、本当に泥臭い強烈なこぶし回し。
すぐに思い出したのは、以前に出たナンジャラホワーズの『笑うリズム』の男の人であった。
私は、ホワーズの女性は間違いなくミス・ワカナだと思うが、男の人(フランク富夫という人らしいが)が誰かわからなかった。
だが、この吉田一男の節回しは、それではないかと思った。会社も同じタイヘイで、さらに吉田は、池田一男という別名でやっているとなると、ホワーズのメインは、ミス・ワカナと吉田一男になるのではないだろうか。
その他、すごかったのは元浅草オペラの残党と言う藤村悟郎の『ほっときなさいよ』、これほど強烈に自分流の歌い方をしているのはまずない。
トンボレコードのジャズバンドも今で言えば、高校生以下だろう。
そして、この種の音楽の最高峰は、あきれたぼういずと古川ロッパ。
戦後は、トニー・谷とまことに素晴らしい選曲だった。
最後がさらにびっくりで、コミックソングとは正反対の御詠歌、山村豊子さんの『巡礼童詞・賽河原』
この迫力と言おうか、心の根源から揺さぶられる音には、本当に参った。
御詠歌については、以前中村とうようさんが出した『こぶしめぐり』にも、日本のこぶし歌の代表、初源としてあったが、やはり我々の肉体に迫るものであり、演出家鈴木忠志が泣いて喜ぶものであったことは言うまでもない。
コメント
わかったと書いたが
岡田則夫さんに確認すると、吉田一男とフランク富夫は、「よく似ているが違うような気がする」とのことでした。
また、山村豊子は、膨大なSPを残しており、レコーディングで生計を立てていた人らしいが、ほとんど情報がないとのことですが、今月出る『レコード・コレクターズ』にも書かれたそうです。