選挙が終わり、自民党の勝利の中で小泉進次郎議員がもてはやされている。
だが、その陰で、彼の地元の横須賀はどうなっているのだろうか。
これは衰退していることがはっきりしている。
かつて横須賀の経済力は、横浜市の南部にまで及んでいた。
横浜市金沢区で市会議員を務められ、議長になられた相川藤兵衛さんは、
「六浦の専売公社の担当は横浜ではなく横須賀だった」と言っていた。
また、金沢区に青砥と言う磯子に隣接した地域があるが、ここの有力者の一人は、
「青砥の新聞は横須賀版だった」と言っていた。
つまり、1990年代くらいまで、横須賀の経済圏は横浜市南部の金沢、磯子区までに及んでいたのである。
その原因は、戦前の海軍以来の米軍、自衛隊等の軍の経済力である。
勿論、横浜でも戦後の1970年代まで、市内の米軍の経済的効果は相当にあったが、1980年代以降きわめて減少している。かつてホテル・ニューグランドの上客は米軍関係者だったようだが、その最盛期は1950年代だったと思う。『月曜日のユカ』には、ニューグランドにたむろする米軍人が見える。
さて、なぜ軍隊が経済的影響があるかと言えば、当然だがまず軍人の給与であり、彼らが地元で金を使うからである。考えれば、軍は基本的に金を一方的使う組織であり、特に1970年代までは相対的にドルが強かったので、米兵の金使いも非常に良かったようだ。
そのことがよくわかるのは、今村昌平の映画『にっぽん戦後史・マダムおんぼろの生活』で、主人公の女性は「やはりアメリカさんはいいね・・・」と言い、日本人を軽蔑して米軍人に依拠する生活を続けている。
その他にも、艦船の修理、造船、人員派遣など米軍、自衛隊が地元企業に落とす金は大きいだろう。
馬淵建設という会社が横浜市南区にあるが、この社の業務はかつては横須賀港での建設業だった。同様に相模運輸倉庫と言う会社も横須賀港での仕事が始まりだったとのこと。
だが、この20年間くらいで、横須賀での軍関係の仕事は大幅に減少しているようで、
今後も増えるとは思えない。
横須賀で目につくのは、かつての社宅やアパートだったろう老朽化した木造廃屋の散在である。
廃屋マニアには格好の風景だが、都市づくりから見ればとても困ったことである。
ではどうしたら良いのか、横浜市がみなとみらいで中心部の活況を取り戻したように、基地エリアを何らかの形で再開発するしか方法はないと思う。
スカジャン程度では、どうにもならないだろう。