プロキノとは、日本プロレタリア映画同盟で、日本プロレタリア文化連盟の下にあって、左翼的新興芸術を担ったが、勿論日本共産党の強い影響にあった。
1929年ごろの結成され、何度も弾圧を受け、1934年に消滅した。
その後、メンバーは、プロデューサーの松崎啓次や、監督の木村壮十二は、PCLに入り、中心スタッフとして活躍する。
また、記録映画やアニメショーンでは、厚木たか、瀬尾光世、山内光らが、芸術映画社でアニメや記録映画の先鞭をつけるようになる。
今回位上映されたのは、『山本宣治告別式』『第12回東京メーデー』、農村の小作争議の『土地』、大学のスポーツ施設が運動部員のみに使用されている不当性を描いた『スポーツ』、さらに東京市電、バスの争議を描いた『全線』など8本。
現存するフィルムは、さらにあるようだが、大体このようなものだろう。
すべて無声で、数分間のごく短いものであるが、たぶん上映は集会などで行われ、弁士の解説付きで行われたのだろう。
気が付くのは、1931年、昭和6年のメーデーの参加者が、結構な人数がいることで、数千人くらいだろうと思う。
芝浦公園から浜松町に向けて行進するが、集会に来る段階で、警官、刑事によって全員に検問が行われている。
そして、ほとんど全員が帽子を被っている。
中の字幕で「ダラ幹も来る」と出て、演説しているのは、顔かたちから見て、戦後日本社会党の委員長になる浅沼稲次郎のようだ。
メーデー作品の総指揮は、後に評論家となる岩崎昶で、撮影は、当時は松竹の二枚目俳優山内光、戦後は東京シネマで数多くの記録映画を製作した岡田桑三である。
戦前の弾圧のひどい時代に、このような運動があったとはよく考えれば、非常にすごいことである。
川崎市民ミュージアム