先週の横浜シネマリンでの『無法松の一生』上映会の後の山田太一さんのトークで、長門裕之が演じた吉岡敏夫の中学時代以降の役者の川村禾門(かわむら かもん)さんについて話された。
この映画は何度も見ているが、長門を引き継いだ人が誰か、まったく気が付かなかった。
1960年頃、川村さんは、山田さんが助監督をやっていた松竹大船の俳優をやっていて、いわゆる大部屋の俳優だったそうだ。
特に名作には出ていないが、この永遠の名作と言うべき『無法松の一生』に出たことで、日本映画史に残ることになった。
調べると、川村さんはPCLで役者になった後、古川ロッパ劇団を経て満州にも行って帰国し、日活に入社し『無法松の一生』に出たのだ。
そして徴兵されて朝鮮に行き、戦後は松竹に入った。
だが、山田さんが言うように、戦後は三船敏郎や鶴田浩二のように、野性や虚無性を持つ男優の時代になっていて、川村さんのような典型的な二枚目タイプは不遇な時で、結局大きな役に恵まれることはなく、大部屋俳優で終わったようだ。
人間は、本人の才能や能力だけではなく、時代との関係が大きいということの例である。