ノマドの元は

先日の放送大学で、ノマド、狩猟採集や牧畜民のことを知り、自分にもノマドの血が流れているのではないかと思うようになった。

1991年に、私は横浜市から派遣されて富士宮の財国際貿易研修センターに3か月間英語研修に参加した。ここは、元三井物産の代表で、イランのホメイニ革命で三井を辞めた山下英明氏が設立した財団法人だった。

主に、石油、鉱山関係会社の若手で、海外派遣が決まっている社員が研修に来ていたが、中には長期研修で半年間のコースもあり、ここには国のキャリア官僚で海外派遣が決まっている職員も来ていた。

国は、海外派遣が決まれば、こうした場所できちんと語学研修を施す制度になっているのか、と感心したものだ。

        

さて、ここでは日本人職員も多数いて、彼らは地元の人間だった。

最初に入った時、彼ら職員による面接があり、そのとき

「指田という名前は、この辺に非常に多いですよ」と言われ、「そうか」と私は思った。

というのは、私は大田区池上の生まれで、我が家の言い伝えでは、指田家は、鎌倉時代に日蓮上人に付いて身延山から来たというのだ。

そんなこと本当かと思っていたが、実際に今でも指田の姓が富士宮市周辺に多いとすれば、この言い伝えも嘘ではないだろう。

となると、富士宮は、富士山という大きな壁のお蔭で、冬も寒くなく意外と温暖で農耕に適したエリアなのである。

私がいた1月から3月の冬の間でも、雪が降ったのは2日ぐらいしかなかった。雪は、富士山に阻まれて、山梨県側に落ちてしまうのだ。

だが、そこは何しおう富士の裾野である、農業のほか、当然狩猟採集を生業の一部とし、イノシシなどを追っていたと思う。

そのノマドの血が、私も多分流れているのではないかと思う。

だから、いまだに町をさすらっているのだと思っている。

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