恨み骨髄 LL授業

私は基本的に能天気なので、人や物事に強い恨みを持つことがほとんどない。

ただ、LL、英語のランゲージ・ラボラトリーだけには、強い恨みを持っている。

今はどうなっているか知らないが、大学に入ったとき、最新式の英語授業としてやらされたのが、ランゲージ・ラボラトリーだった。

これは、教室の机が一つの囲われたブースになっていて、教師もブースに入る。

そして学生は一人ひとりヘッド・フォーンを付けて、それで教師の声を聴く。

机には1台づつオープンリールのテープレコーダーがあり、教師の指示に従ってその操作もする。

授業方法は大体、一つの英語の文章が流され、それの部分について教師から質問があり、指名された生徒は、自分のマイクで教師に答える。

それは、他の生徒には聞こえないようになっているので、答えの正否は教師にしかわからない。

だが、このシステムは、

「教師が気に入った女とやり取りするためのものではないか」と揶揄する連中もいたが、それも可能で、すべてソニーの機器だった。

 

授業は、あるスキットをテープに録音し、翌週に質疑するというものだったが、ともかくこのシステムが非常に嫌だった。

しかし、幸運なことに、これは1年だけで終わった。

前にも書いたが、1991年に横浜市から派遣されて国際貿易研修センターに行った。

そのとき、アメリカ人のある教員にLLについて聞くと、「これは間違った英語教育法だったとされている」と言われて非常に驚いた。

「1960年代に、東南アジア等で、非ネイティブに使用された教育方法で、パターンプ・ラクティスとセットとなっていた」そうだ。

だが、このパターン・プラクティスは、いくつかの英語の応答のパターンを記憶させるものだが、これでは応用が利かず、結局無意味だとされたのだそうだ。

要は、自分が持っている単語の応用力を上げる方が、日本人には有効だ、というのが彼らの見解で、私もそう思う。

日本人は、普通10年間の英語教育を受けているわけで、ヒアリングは別として、単語や文法は相当なものがある。

その能力を利用した方が良いというのが、彼らの見解だった。

 大いに安心したものである。

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