大本教が大弾圧された原因がわかった 「SP講談二〇世紀之大衆芸能 「宗教と芸能」」

隔月で高円寺の円盤で行われている、岡田則夫さんの「SP講談二〇世紀之大衆芸能」で、昨日は日本の「宗教と芸能」だった。

               

「あまりないんですけれどね・・・」と言いっつ、声明から始まり、説教、説教節、デロレン祭文、尺八となると次第に宗教というよりも、芸能に近くなる。

こんなに出ていたのかと思うが、一番すごかったのは、大本教の出口王三郎のSPで、昭和7年ごろの盤。

「花明山節」と名付けられているが、これが完全に音頭で、江州音頭や河内音頭とまったくそっくりなのだ。「どっこい」等の合いの手も入っていて明らかに多数で踊っていることが明らかだった。

これは不逞の輩の不謹慎な集まりと活動に見えたと思うのだ。

民衆が音頭取りの歌に合わせて踊り狂っているのである、今で考えれば、ロック集会のように為政者からは見えたに違いない。

歴史的には、大本教の教義等が天皇制に触れるとのことで、大本は戦前に徹底的な弾圧を受けたが、その原因の一つはこの風俗的なものだったのだ!

大本教から出た、ひとの道教、さらにはその戦後のPL教のSP、春日八郎の『俺らコーヒー作り』では、サントス港などが歌われており、ブラジルでの布教を目的にしたものと思われた。

天理教の『御かぐら歌』というのも最高で、完璧に楽器の音程が狂っていて、その上に「生かされている・・・流されている・・・」などの言葉が繰り返される。じっと聴いていると少しいたたまれなくなる代物。

ご詠歌もいろいろあり、みな結構すり減っているので、大いに掛けたのだろうと思う。

岡田さんも、意外に多いなとおっしゃっていたが、どれも興味深いものばかりだった。

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