高校時代、一番好きだった映画雑誌が『記録映画』だったが、すぐに廃刊になってしまう。この雑誌の編集長は、先日死んだシナリオ・ライターの佐々木守である。
佐々木は、職がなくなったので、大島渚の創造社やテレビでシナリオを書きまくることになる。
『記録映画』は、日本の記録映画監督の協会である記録映画作家協会の機関誌で、当時編集部は、反共産党派だった。
1960年代の共産党中央(代々木)との抗争の中で反代々木派の松本俊夫らが共産党を除名され、雑誌は廃刊となる。
松本らは「杉並記録映画を見る会」を作り、作家協会を出る。
この派には、東陽一、土本典昭、小川伸介らもいて、彼らが70年代の日本のドキュメンタリー映画興隆の中心となって行く。