旭区の今宿地区センターで、「映画の中の横浜」をやった。私が調べた限りでは、日本映画の中に横浜が出てくる作品は、約100本ある。
なんとサイレント時代からあり、小津安二郎の問題作1933年の、田中絹代がギャング岡譲二の情婦を演じる『非常線の女』には、溜池にあったダンスホールのフロリダの他、日本大通り、外人墓地、山手教会などの横浜がふんだんに出てくる。アメリカ映画かぶれだった戦前の小津安二郎にとって、横浜は彼の世界を表現するに適した町だったようだ。『晩春』『麦秋』『東京物語』の日本的な作品になるのは、戦後のことなのである。戦争直前には、鶴見の生麦の漁村を舞台にした『煉瓦女工』というのがあったのだが、戦前には公開禁止で、戦後松竹から公開されている。
戦後、1949年には横浜で東日本貿易博覧会が東神奈川と野毛山、山下公園で行われた。5月1日にアトラクションが行われ、『新東京音頭』が披露されたが、映画『ラッキー百万円娘』で、ソロを取っているのは藤山一郎、古川ロッパ、野上千鶴子だけで、美空ひばりは、その他大勢のコーラスだった。だが、その半年後『悲しき口笛』が大ヒットし、ひばりの主演映画ができ、そこでは野毛の今は店や都橋センターになっている場所が広い空き地だったことが出ている。なんと美空ひばりの人気のすごいことか。因みに、東神奈川のパビリオンの跡地は、1957年まで横浜市役所として使われたのである。
その関内の横浜市役所と港橋をバックに川津祐介と岩下志麻が会うのが『わが恋の旅路』で、原作は曽野綾子、脚本は寺山修司で、監督は篠田正浩だが、この時篠田は、詩人の白石かずこと結婚しており、岩下志麻とは関係ない。二人が結ばれたのは、蜷川幸雄も出た松竹京都での『暗殺』である。
横浜の様々なところが出てくるのが、石原裕次郎と浅丘ルリ子、二谷英明の名作『赤いハンカチ』で、そこにはホテルニューグランド、県立図書館、そして野毛の遊園地が出てくる。野毛には、1949年の博覧会の時の遊戯施設が残っていて、それは1963年に当選した飛鳥田市長によって全部が動物園になってしまうので、遊園地が見られるのは大変に貴重なのである。また、同時に当時あった売店も少し見えているが、これは動物園化によって全部撤去され、その代わりに山下公園の上に高架で公共臨港線ができたとき、その下にこれらの売店を移転させたのである。
『東京流れ者』や『涙を、獅子のたて髪に』などは、山下ふ頭を背景にしているが、当時が山下ふ頭の最盛期だった。おかしいのはこの頃から日活では、ニセの都市が見えてきて、『東京流れ者』での佐世保は、横須賀であり、『紅の流れ星』の神戸の半分くらいは横浜港で撮影されている。さらに『カサブランカ』のリメークとして有名な石原裕次郎と浅丘ルリ子、二谷英明の『夜霧よ今夜も有難う』の冒頭の神戸の船の中からの裕次郎のルリ子への電話も、横浜の氷川丸からのものである。
最後は、1984年の東宝の『零戦燃ゆ』で、主人公の堤大二郎と早見優が再会して歩くのは、当時は「ウィンナー」と関係者が俗に言っていた桜木町から新興ふ頭に伸びる物揚げ場の島で、今は汽車道になっている。ただし、半分くらいは撤去してしまったようだ。