『白蟻の巣』

新国立劇場の「日本戯曲の力」シリーズの1作目、1950年に青年座で上演された三島由紀夫の作品。

舞台はブラジルの農園で、主人の刈谷義郎(平田満)と妻妙子(安蘭けい)だが、妙子は運転手の百島(石田佳央)と不倫している。

あれっ、これって三島の小説、そして日活で映画化された『愛の渇き』と同じじゃないかと思うが、その通りに筋は進行してゆく。この『愛の渇き』は、大学2年の時に見ているが、内容はさっぱり理解できなかったが、画面が異常に美しいので感動した記憶がある。CSで見た時、私は次のように書いた。

1966年蔵原惟繕監督、浅丘ルリ子、中村伸郎、石立鉄男主演。脚本は蔵原と藤田繁矢(藤田敏八)。原作は三島由紀夫。1967年に鈴木清順の『肉体の門』等と3本立で見ているが、難解でよく分からなかった映画。関西の大富豪中村の次男(小高雄二)の嫁だった浅丘は、夫の死後、義父中村のものとなり、広大な屋敷に住んでいる。そこにはインテリの長男山内明・楠有子夫婦、出戻りの小薗蓉子らがいる。浅丘は下男・石立の若く粗野な魅力に惹かれている。今やアンパンマンのごとき石立がまだ若く細い。石立が、小屋で鶏の羽をむしっているとき、血の性的な匂いに浅丘は気を失う。倒れている浅丘に石立が接吻する。この二人の関係は、三島と、彼の同性愛の相手で最近亡くなられた『剣と寒椿』の作者福島次郎氏との関係のように私には思えた。気を失っている自己に相手が接吻するというのは、甘美な性的欲望である。この作品での浅丘の抑圧された性的意識は、三島の抑圧されて倒錯した性的関係そのものである。最後、屋敷から中村と浅丘が東京に出てゆく前夜、浅丘に呼び出された石立は「もっと苦しめばいいのだ」と本心を言い、浅丘をおそおう。叫び声に駆けつけた中村の前で、浅丘は石立を鋤で惨殺する。石立を埋めるため、泥を掘り返すと、そこに彼が中村の部屋から盗んだ愛の彫像が姿を現わす。見事な愛の悲劇だが、ここで最も「愛に渇い」ていたのは、実は三島由紀夫本人であることがよく分かる。当時、日活で蔵原とコンビだった間宮義雄のカメラが大変美しく、黛敏郎の音楽がすごい。かつて日本映画に文芸映画というジャンルがあったが、その最高峰の一つである。三島も、生前「市川昆の『炎上』と並び最もよく出来た自作映画」と言っていたそうだ。

この劇では、もう一つ、主人の平田が、運転手の妻の啓子(村川絵梨)とできてしまう。簡単に言えば、この劇の方が複雑で入り組んだ構成になっているのだ。

つまり、この劇は、後に書く『愛の渇き』の原作のような作品になっているわけだ。三島由紀夫といえども、やはり試作的な作品があり、それをさらに純化することで傑作に結びつけたということだ。

パンフレットを読むが、どこにも『愛の渇き』についての言及がないのには驚く。誰も映画はもちろん、小説も知らないのだろうか。

まあ、その程度のものだろうと思ったが。

新国立劇場

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