『令嬢ジュリー』

かつて日本の俳優が演じてさまになるのは、男は兵隊、女は娼婦と言われた。

だが、今では日本の俳優たちが演じられないのは、階級的格差であるに違いない。

大富豪も貧乏人も演じられないのが日本の若手俳優の現状である。

そのことをあらためて実感させられたのが、スウェーデンの19世紀の劇作家ストリンドベリの古典的名作とされる『令嬢ジュリー』だった。

演出と台本の小川江梨子は、元の作品ではなく新しい解釈を見せたかったようだが、実に退屈で、どこにもドラマが感じられずまったく面白くない。途中は十分に寝られて、最近の寝不足の解消ができたほどだ。

まず、主演の小野ゆり子が、伯爵令嬢に見えるだろうか、まったく見えない。普通に渋谷センター街を歩いているお姉ちゃんの一人である。

まあ、それもいいが、本来は家の下男であるジャンの城田優、さらに料理女の伊勢佳世との間に少しも階級的格差がまったく感じられない。

普通の男女のお付き合いで、ドラマも葛藤も存在しないのだ。

先日見た劇団俳小の若手主体の公演の『満月』でも、役者たちに役作りがなかったので、劇が分からなかったが、ここでも3人とも役作りがないので、見る方にはなにも伝わってこなかった。

この小川江梨子は、今後新国立劇場の芸術監督にご就任されるそうだが、日本にはそのように演出家が不足しているのだろうか。

シアターコクーン特設劇場

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