先週の土曜日は、高校のクラス会があり、小山台時代から柔道部で、東工大に行った佐藤君が来たので、山中邦捷氏について聞いてみた。
彼は、私がパシフィコ横浜の営業部に出向したとき、新日鉄から派遣されて来た方である。
厳密に言えば、パシフィコ横浜と言うのは正しくない。当時はまだ愛称はなく、㈱横浜国際平和会議場が正式な名称で、パシフィコ横浜を作るのを担当したのは私で、山中さんの他、日本鋼管から来た方は、いずれもJAPICからの派遣だったからである。
JAPICとは、日本プロジェクト産業協議会で、当時の中曽根内閣の民活路線に応じ、重厚長大産業の企業が新分野を求めて作った組織で、関西新空港、東京湾横断道路、幕張メッセ、羽田新空港へは、これらの企業から職員が派遣されていたのである。
山中さんは、小柄で160センチくらいだが、柔道5段、東大柔道部の主将とのことだった。
佐藤君に聞くと、さすがに国立大の柔道界では、山中さんは大変に有名だったようで、
「凄い強かった、小さかったけれどなぜか負けちゃうんだ・・・」と話していた。
確かに東京オリンピックの軽量級の最終候補だったというのだから本当である。
だが、この方は、横浜市の南学氏と並んで超有名人で、酒の席で悪口を言い出すと止まらないという、非常に変わった方だった。
ある時、営業部で、後楽園が東京ドームになり、「杮落しはミック・ジャガーですね・・・」と話していた。
すると山中さんは「肉じゃがってなに?」とお聞ききになったのだ。
東大法学部が、ミック・ジャガーを知らなくても許されるだろう。興味がないのだから。
だが、「寄付行為」には参った。
寄付行為とは、財団法人等の基本的な規約で、会社の定款に当たるものであるが、山中さんは、この用語をご存じなかったのだ。
多分、1998年頃だったと思うが、横浜市の外郭団体の書類について見ていた時だった。
私が「寄付行為」と言うと、「寄付をするのですか?」と聞かれた。
この時、山中さんは、寄付行為が財団の規約であることを知らないのだなと分かった。
それでも東大法学部は卒業でき、日本を代表する企業の新日鉄に入れたのである。
まことに良い時代だったと言えるだろう。