『ゲド戦記』

特に見る気はなかったが時間があいたので見た。なかなか感動的だった。
ル・グゥィンの原作がどうなっているか知らないが、ここでは父親を殺した少年アランが、年長の大賢人ゲドによって人間的に成長していく話になっていた。

関係ないが黒沢明の『野良犬』を思い出した。
『野良犬』は、拳銃を奪われた若い刑事の三船敏郎が、ベテラン刑事志村喬の指導によって成長し犯人を捕まえる物語であり、『ダーティー・ハリー』をはじめ多くの刑事物の原型である。

宮崎映画は、いつもすごいとは思うものの、ときどき違和感を感じることがあるが、ここではほとんどなかった。
舞台は、地中海的気候風の都市とイタリア的な農村で、国王である父親をなぜか殺害した少年アランが逃げてきて、大賢者の魔法使いゲドに会う。

彼らは、「永遠の生」を得ようする大魔女と戦って勝つ。
尖塔でのアクション・シーンは、『インディー・ジョーンズ』のようにハラハラどきどきの活動写真的手法で、理屈抜きに楽しい。
中で、アランは「この世の総てのものは死に」、「死を知っているからこそ人間は意味ある生を生きられる」ことを学ぶ。

父殺しとは、ギリシャ悲劇の『オイディプス』であり、日本映画でも長谷川和彦の『青春の殺人者』がある。『青春の殺人者』は、なぜ主人公が殺人したのか、を問う作品だが、勿論理由は解明できない。
ここでは、アランの父殺しは一切説明されておらず、この映画の監督が宮崎駿の子宮崎吾朗であることを考えるとその意味は深い。

本質的に男子は父親を殺す運命なのだろうが、小学6年生のとき父を亡くした私にはよく分からない。
ムービル

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