井上靖(役名では伊上 役所広司)の実母(樹木希林)の晩年の日々を描くものだが、同時に彼の娘たちとの関係を描いていくが、「昔の家長は大変だなあ」と思う。
父親の三国連太郎の死をきっかけに、母は次第に認知症になっていく。
役所は、人気作家で、家は全員が彼に仕え、奉仕するものになっている。勿論、それは彼の筆が多額の収入を産み、それで裕福な生活を支えているからである。大ベストセラーとなった本『敦煌』の検印押しがあり、今は全くないが当時はあったのだなあと思う。
彼は暴君そのもので、妻や娘、さらに女中らの日常生活のすべては彼が管理・支配するものになっている。
まことにご苦労様なことだと思うが、かつての日本の家父長というものは、そうした役割を期待され、自分もそれが当然だと思い込んでいたのだから実に大変である。
娘との葛藤で笑ったのは、彼女が映画を見に行って、電話で帰される件で、見に行った映画を娘は言う。
「処女の泉よ!」
「ピンク映画か!」
若い時は、映画のシナリオも書いたことのあり映画には関心があったはずの井上だが、この頃は忙しくて見ていなかったのだろう。ベルイマンの名も知らなかったようだ。
だが、こう言われると確かにピンク映画のような題名であるが、配給会社はピンクと間違えて入る客も期待したのだろうか。
当時の左翼的な欧州映画でナチスの残虐さを描いたものに、『裸で狼の群れの中に』というのがあり、配給元は『裸の娘の群れの中に』と誤読されることを期待したというのがあったが。
さて、結局井上は、娘たちにそれぞれ反逆され、背かれていくが、最後は肯定せざるを得なくなる。
そして、母の認知症はどんどん進んでいくが、樹木は楽しんで演技しているように見える。
この辺は、森繫久彌の名演で記憶に残る、豊田四郎監督の『恍惚の人』を思わせる。
井上が、幼年時代に両親から、伊豆の湯ヶ島に、祖父の愛人で血の繋がらない祖母と一緒に残された理由は、この映画でもよくわからない。
先日見た映画日活の『しろばんば』でもわからなかったのだが。
原田眞人はあまり好きには慣れない監督だが、これはそれほど不快でなく見られたのは、役所広司の人柄が本当に良いのだろうと見えることによっている。
衛星劇場
コメント
ご指摘ありがとう。ただの記憶違いです。