1959年、萩原遼監督、近衛十四郎主演の松竹京都映画である。
脚本は、三村伸太郎と山中貞雄で、山中の名作『河内山宗春』のリメイクで、筋は同じである。
河内山の近衛の他、金子市之条は宇野重吉、お波は青山京子、その弟広太郎は松本錦四郎、森田屋は沢村国太郎であり、地味だがなかなか良い配役。珍しいのは、小悪党で民芸の垂水吾郎が出ているが、宇野が出ている関係だろう。
萩原は、戦前は「鳴滝組」の一員で、山中の弟子でもあった。
戦後は、主に東映京都で、『笛吹童子』『紅孔雀』等の娯楽時代劇で活躍したが、この頃は東映をやめ、松竹にいて、最後はピンク映画も撮ったようだ。
名作のシナリオなので、話は面白いが、どこか感動的ではない。
青山京子と原節子を比較するのはどうかと思うが、全体に若さがないのだ。
山中貞雄が『河内山宗春』を作ったときは27歳。萩原遼は、1959年のこの年48歳である。
近衛も43歳、前作のとき河原崎長十郎ですら、36歳だったのだ。
原節子が16歳だったのに対して、青山京子はすでに24歳だった。
思えば、山中貞雄の『河内山宗春』は、不良少年たちの青春映画だった。
1959年と言えば、すでに戦後約10年、日本映画も青春期をはるかに過ぎていたのだ。
この前に、近衛十四郎主演で、やはり萩原が監督の1960年の『柳生旅日記・竜虎無双剣』も見るが、典型的な娯楽時代劇だった。
阿佐ヶ谷ラピュタ
帰りは、いつものように北品川で飲みに行くが、ガラガラだった。
このところ、いつもこんなものだと言う。まだまだ不景気なのか。