アメリカン・ニューシネマの1本、1974年に川崎の駅ビルにあった川崎文化で、フランコ・ゼフィレリ監督の『ブラザーサン&シスタームーン』と2本立てで見ている。だが、あまり感動しなかったようで、チェックされていない。当時、良いと思った作品にはチェックを入れていたのだが。
タミー・ワイネットの『スタンバイ・ユア・マン』が流れてタイトルが終わると、ジャック・ニコルソンが、オートチェンジャー・プレイヤーで聴いているカレン・ブラックに、
「嫌いだ」と言ってLPを切る。彼が切る意味はいずれ分かるが、こうした下層の音楽カントリーが嫌いなのだ。彼は、労働者として石油採掘現場で働いていて、仲間のラリーらとボーリングに行ったり、ポーカーをして気楽に生きている。だが、引っ越しのトラックの上にピアノを見ると乗っていきなり弾きだす。
石油採掘をやっているので、テキサスあたりだろうが、突然ロスの姉のところに行く。彼女はクラシックのピアニストで、本当はニコルソンもピアニストだったのだ。彼は、姉から父が重い病気なことを聞き、ワシントンの家に行く。
全部が車の移動なので、ロードムービーであり、途中ではヒッピー女2人組を乗せたりするが、これが変な連中で一種の環境オタクで人間が多いことが地球をケガしているとのことで、理想の地のアラスカに行くとのこと。
ワシントンの家は、川か湖の対岸にあり、そこにはフェリーに乗って往復する。
父も音楽家で、兄はバイオリニストだったが、自転車の事故で首を痛め、今は休養してピアノを教えている。ニコルソンはその弟子の美人のキャサリンを好きになるが、彼女はニコルソンを相手にせず、兄の愛人のまま。
父は認知症で口も効けず、元船員の大男の介護人に介護されている。家での最後、ニコルソンは父に切々と自分の心情を告白するが、ここは今見ると結構いい場面である。ニコルソンを追ってきたカレン・ブラックは、その家の連中とは階級が違う人間であることが明らかにされる。
長く居すぎたと車で、ニコルソンは出てゆく。
そして、あるガソリンスタンドで、カレン・ブラックがコーヒーを買いに行った隙に、ニコルソンは、たまたま来た長尺の丸太材を運搬してきた大型のトラックに乗り込み、「働かさせてくれ」とブラックを置き去りにして、どこかに行ってしまう。
相当に下降志向の強い作品で、極めて浮遊的な生き方のニコルソンを肯定しており、1970年的な作品であると言える。
題名は、ニコルソンがキャサリンに弾いて見せて感動させる曲で、彼に言わせれば「簡単なので上手く聴こえる曲」とのこと。
シネフィル