東宝教育映画株式会社

先日、フィルム・センターで見た47分の中篇映画『林檎園ものがたり』の制作会社は、東宝教育映画株式会社だった。
調べると、この会社は、東宝争議のとき、東宝の文化部を再編して映画会社にしたもので、1948年に設立されて、1952年に解散している。

要は、争議の際の組合対策の一つで、文化部の共産党員を吸収して会社にし、そしてスト終結後東宝の処理が決まると、解散させたのだろう。
映画史では、「東宝争議のよって新東宝が生まれた」と書かれているが、実は単純ではなく、この教育映画株式会社のように様々な手を打っていたわけだ。

民間企業は、現存する企業を様々に活用する。
例えば、松竹系のシネ・コンにムービックスがある。
これは、松竹の直営だと思っていたら、実はニューセレクトの運営だった。
ニューセレクトは、松竹系の「洋ピン」映画会社だった。
洋ピンとは、洋物ピンク、スエーデンや西ドイツ製のピンク映画のことで、1980年代、日活のロマンポルノが始るまで、結構人気があったジャンルである。
ニューセレクトも元は欧州映画の配給会社だったと思うが、いつの間にか「洋ピン」映画会社になり、ある時期に松竹の子会社になった。
そして、今はこの会社を活用してシネ・コンを運営しているのである。
故田中角栄によれば、「赤字会社も利用法はある」とのことだが、休眠していたであろうニューセレクトを活用するなど、松竹はさすがに大阪商人で、がめついものだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする