桜社は、1973年の『泣かないのか?泣かないのか、1973年のために?』の後、機能不全に陥り、蜷川幸雄は1974年春には東宝で『ロメオとジュリェット』を演出し、1974年に解散する。
その後、1975年に新潮社から清水邦夫の書き下ろしの戯曲として書かれたのが、この『幻の 』である。
同年に「風屋敷」によって清水邦夫の演出で世田谷の醤油工場の跡で稽古が行われたが、途中で中断し最終的には公演中止になる。ここには、石橋蓮司・緑魔子らの他、山崎努、松本典子も参加していた。
言わば、ここがその後の石橋・緑の『第七病棟』と、清水・松本の木冬社等に分かれる分岐点になっていたわけだ。
記憶だけで書くととんでもない間違いを犯すものだ。
今回の劇について言うなら、「よくもこんな芝居を見られる水準にしたな」ということで蜷川の力量を再認識した。特に、木村佳乃をともかく見られるようにしただけで大した物である。
役者では将門を演じた堤真一が軽い演技をして、「こいつがこんなことも出来るのか」と少々驚いた。真田広之にも匹敵するよさであった。と言って真田の芝居は余り見ていないのだが。
ともかく、昔は蜷川の芝居も一緒に見に行っていた私の妻によれば、「蜷川のは見て損はないと思わせるのはすごい」とのことだったが、まさに見て得をした芝居だった。