昨日は、阪神がヤクルト相手に苦戦していたが、三番手の投手クックがひどくて押し出しで8点になったので、野球を見るのをやめて、映画を見る。
藤田敏八監督作品では、『赤い鳥逃げた』が最高だと思うが、一番好きなのが『妹』なので見る。
藤田敏八は、1960年代後半から好きだったが、彼は、蔵原惟繕の助監督で、蔵原の『憎いあンちょくしょう』では裕次郎が歌う歌の作詞をし、『愛の渇き』では脚本を書いている。『愛の渇き』は、三島由紀夫が「私の小説の映画化では、『炎上』と『愛の渇き』が最高だ」と言うほどの名作だが、最初に見た時、幼い私は「きれいな映像だ」と思ったが、作品の内容はまったく理解できなかった。
蔵原も藤田も、映像派で音楽も良いが、藤田が蔵原と異なる点がある。
それは、藤田の作品の基には、ベケット的なものがあることで、藤田の作品は、「いつもうろうろしていてとりとめがないが、最後に急きょ破局になる」
これは、ベケットの『ゴド―を待ちながら』なのだと思うのだ。藤田は、大学時代は劇団俳優座にいて、役者を目指していたのだ。
『妹』は、1974年10月に池袋で、岡本喜八の『青葉繁れる』、神代の『青春の蹉跌』との3本立てで見て、相当に満足した。前作の『赤ちょうちん』は、4月に川崎で見たが斉藤武市の『愛と死を見つめて』との2本立てで、特に満足というものではなかった。
地下鉄の早稲田駅に、鎌倉から秋吉久美子が戻ってくるところから始まる。
これは、兄の林隆三と元は暮らしていた毎日食堂は、早稲田だが、これは脚本の内田栄一がそこに住んでいたからだと思う。秋吉のマネージャーは、当時内田栄一の奥さんがやっていた。
秋吉は言う、「鎌倉から出てきてやった」と。そして、一緒にいた(きちんとした結婚はしていない)耕三がいなくなったと。
この映画は、一応、この耕三を、秋吉のねりが探す話になっている。
秋吉は、背中側からだが全裸になり、また上半身は裸になって豊かな乳を見せるが、この映画にセックス・シーンはない。
兄の林の前なので、妹の秋吉は裸になるのだ。
この作品は、内容よりも、当時の風俗や風景が良く出ていることが素晴らしいと思う。
私の記憶では、日本の1970年代の風俗が良く描かれている作品である。
秋吉が呼び出される、耕三の兄でイラストレーターの伊丹十三のマンション、その前のシーンの原宿の喫茶店、そこで特別出演の村野武憲と会うシーンのバックには荒井由美の曲が流されている。これは、音楽が木田高介で、荒井の曲もやっているからだろうが、全体にこの映画の音楽は非常に良い。
耕三の兄は、伊丹と村野で、姉はラジオでDJをやっている藤田弓子、伊丹の妻は横山道代で、この大人たちの中で、秋吉は完全な異分子で、藤田に言われる「彼女は違いますしか知らないみたい」
原宿の路上でやっているフリーマーケットや露天の店、それから林が秋吉のことを詫びるために行く鎌倉のエスニック品を売っている店なども。
処置に困って秋吉が連れていかれるのが都電で、王子の焼き鳥屋に行く。連れていくのは、林の恋人の吉田日出子で、これも奇妙な女性でおかしい。なんとか流の合気道三段だそうで、いずれ早稲田の店を「女性のための道場にしたい」と言っている。
そこで、店番をしている耕三の妹のいずみの吉田由貴子に会う。
その後については、問題になるのだが、それについては別に書く。
最後、林は秋吉に、母親の花嫁衣装を着せて、近所の写真屋の藤原釜足に記念写真を撮らせる。
藤原の妻は、久松夕子で、この人は古い新劇女優で、劇作家福田善之と夫婦だったこともある人だ。
こんな人をキャステングしているのは、藤田が俳優座にいたからで、藤田は『赤ちょうちん』でも、俳優座系の女優三戸部スエを使っている。ついでに言えば、藤田が結婚したことがある赤座美代子は、俳優座養成所の出身である。
秋吉は、姿を消し、林は、焼き鳥屋で秋吉から話を聞いた、トルコ嬢の片桐夕子から事情を聞くが、
彼女は言う「探すのやめた方がいいよ、探すから死ぬんだよ」
山科、焼き鳥屋の二階で、秋吉から耕三と喧嘩して、彼に肩からぶっかって耕三は、崖から落ちたのだという告白を聞いているのだ。
殺人ではなく、過失致死で、情状酌量されれば不起訴程度の罪だと私は思うが。
秋吉は、尼寺に入ったが、僧と駆け落ちして、以後不明なことが明かされる。
だが、林は、軽トラックでおでんの屋台を引いていて、全国を回る勢いで、「俺は探すぞ」と秋吉の写真を屋台に下げて営業している。
これの林隆三、さらに『赤ちょうちん』の小松方正、最後の『バージン・ブルース』の野坂昭如と長門裕之はとっくにいないのに、秋吉久美子は相変わらず元気で活躍されているのはすごいと思う。