総務省では、東北新社につづき、NTTからも接待を受けていたとのことで、まるで汚職省だ。
こうなると、まるで時代劇の悪人たちのようだとの声が聞こえる。
「越後屋、お前も悪よのう・・・」との。
だが、時代劇映画ができたのは、大正から昭和初期のサイレント映画の末期である。
当時は、時代を反映して反体制的な映画が多数作られていて、溝口健二も『東京行進曲』では相当に批判的な作品を作ったらしい。らしいというのは、半分以上が削除されたので、元の映画は分らないからだ。
こうした反体制的な映画に対しては、当然に権力からの弾圧があった。
そこで、作られるようになったのが、時代を江戸時代等に換えた「時代劇」だった。
「これは江戸時代のことで、現在のことではありません」と。
だから、時代劇の悪徳商人は、資本家のことで、悪代官等は、警察のことなのだ。
こうした時代を変えて、権力の弾圧を逃れるのは、時代劇だけではない。
歌舞伎も、徳川幕府が、同時代のことを作品化するのは禁じていたので、時代を変えて劇を作っていた。
『仮名手本忠臣蔵』は、室町時代のことにされていて、赤穂事件ではないとしている。
このように時代劇は、その時の現在を描いているのであり、「時代劇みたいだというのは逆」なのだ。
それは、「演歌は日本の伝統だ」と言うのと同様の間違いである。