川崎市民ミュージアムでの木下恵介の『この天の虹』は、様々なことを想起させる作品だった。
その一番が、工員高橋貞二が、自分が好きな久我美子にプロポーズするため、鹿児島からわざわざ母親浦辺粂子が来て、上司の笠知衆に菓子折りを持って来て依頼し、そこで笠が久我の父親織田政雄に頼むことである。
昭和33年頃、このような回りくどい求婚方法を取ったのだろうか。
言うまでもなく昭和29年には慎太郎の『太陽の季節』が出て、太陽族映画が続々と作られた。
木下恵介も、2年前に映画『太陽とバラ』で、太陽族に翻弄される貧乏人の息子中村賀津夫を描き、太陽族に疑問を提出している。
しかし、如何に北九州という地方とは言え、結婚の申し込みに、こんな他人を介在させるやり方を取っただろうか。
むしろ、太陽族的野合は、地方の方が常態であったように私は思う。
万葉集の歌垣などは、言ってみれば若者の「野合集会」であったのではないかと私は邪推している。