先週の土曜日、川崎市民ミュージアムで加山雄三の『リオの若大将』を見た後、夜は緑公会堂で区民ミュージカル『FRIEND』を見る。
どちらも、音楽劇で、加山映画は1968年公開作品。
今年は「ブラジル・日本友好年」で、日系ブラジル人の多い川崎市でブラジルを舞台にした作品の一つ。もう1本は、小林旭がブラジルに行って自分のプロダクションで作った『赤道を駆ける男』だが、公開時に見ているので、パス。
加山映画は、大学卒業を控えた若大将加山、青大将田中邦衛、さらに友人の江原達ヨシらの恋愛、クラブ、試験等が描かれる。いつもながら、田中の珍演が最大の見もの。座禅寺の和尚が今東光で、そこでの一言が、フェンシングでの加山の優勝につながる。
加山は、希望通り石川島造船所に就職し、ブラジル行きも可能になる。
田中は、落第、江原は、加山の妹中真千子と一緒になり、老舗すき焼屋「田能久」を次ぐことが暗示される。サンバを使った服部克久の音楽が大変良かった。
大学対抗バンド合戦の相手役は中尾ミエ、司会はなんと内田裕也大先生。
緑区民ミュージカルは、11回目だそうで、私は多分最初のを見ている。
今回は、女子高生4人組の話で、一人が自殺未遂をして、その原因は何かという「教室劇」。
横浜で劇団創生樹やってこられた浜田重行さんの構成・演出なので、見せ方は上手い。
芝居は、4人の女子高校生及び男子学生らにして、その他大勢の小・中学生は、バックのコーラスに使っていた。制作上、上手い方法である。
音楽は、生のロック・バンドで、なかなか良かった。
かつて1960年代には、加山雄三とランチャーズのように金持ちのお坊ちゃんしかできなかったロック・バンドも、今や誰でも出来るほど民主化されて来たわけだ。
だが、この『FRIEND』の登場人物のすべては善人で、現実から隔絶された世界になっている。
演劇や映画が、このように現実から離れて善人だけの世界になって良いのだろうか。これでは、「女子供しか見ない」ものになってしまうのではないか。
この劇を見て思い出したのは、1960年代の日共・民青の「歌声運動」の恥ずかしさだった。
この恥ずかしさの感覚は大変重要だと思う。
それにしても、各シーンの終わりになると、役者が視線を据えて観客席をじっと見つめるポーズになるのは何とかならないものか。
唐十郎や野田秀樹の劇でなじみの手法だが、劇のクライマックスで、主人公の「覚醒の瞬間」でやられてこそ有効で、のべつ幕無しにやられては白ける。
「またか、これしかないの」と思うだけである。