朝日新聞に特派員記事として、ブラジルで、ボサ・ノバが聞かれていないと書かれていた。
それは当たり前だが、笑えるのは記者が思うボサ・ノバとは、アストラッド・ジルベルトの『イパネマの娘』らしいことだ。
日本を始め、世界中で大ヒットしたアストラッド・ジルベルトとスタン・ゲッツの『ゲッツ/ジルベルト』からシングル・カットされた、アストラッド・ジルベルトが歌う下手くそな『イパネマの娘』は、ブラジルでは発売されていない。
『ゲッツ/ジルベルト』は、本来ジョアン・ジルベルトがスタン・ゲッツとレコーデイングをしていた。
ある時ジョアンがいない隙に、有名になりたくて仕方がなかったアストラッドが勝手に吹き込んでしまったもので、ヴァーヴからシングル・カットされて発売された。
だが、ブラジルでは発売されなかった。アストラッド・ジルベルトは、ただの主婦で誰も知らないからである。第一、あんな下手な歌では、ブラジルでは相手にされなかっただろう。
だから、ブラジルではアストラッド・ジルベルトの『イパネマの娘』など誰も知らないのだ。
数年前に私はポルトガル語を習ったことがあるが、日系ブラジル人のイレーネ・松田先生も、ブラジルではアストラッドの曲を聞いたことがなかったそうだ。
ボサ・ノバは、日本ではブラジルを代表する音楽のように思われている。だが、1960年代のほんの一時期に大流行した音楽であり、ブラジルの主流ではない。ブラジル音楽の中心は、今も昔もサンバである。
ボサ・ノバの誕生については、諸説あるが、バイーアからリオにきた風来坊ジョアン・ジルベルトがピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビンと会ったことが始まりである。
それが、ジャズ・シンガー・デック・ファーニーのファン・クラブ、リオの学生などの若者の中で支持され社会的に拡がった音楽である。
大きく見れば、ジョアン・ジルベルトが作り出した画期的なギター奏法バチータを基盤に、戦後世代の新しい感覚の音楽ができたわけだ。
アマチュアの代表がジョアン・ジルベルト、プロがアントニオ・カルロス・ジョビンで、プロ・アマの融合が新しい流行を作り出したので、ブラジル中の若者の心を捉えたわけだ。
あらゆる音楽、そして文化がそうだが、それは必ずある時代の世代、風俗、社会的階層等の新しい文化的融合や変化の中で生まれるものである。
だから、その世代、時代、風俗がさらに変化すれば、その音楽、文化等は意味を失う。
大体それは、30年と言われているが、ポピュラー音楽が大衆文化である以上、時代の変化と共に変わり、衰退したりするのは当然なのだ。
それを今もあるとか、ないとか言うのは、大変滑稽なことである。