1970年代初めには岡本喜八も、こんなつまらない映画を作っていたのか、と改めて思った作品。見なくて正解だった。
五木寛之の原作料が高かったのか、わざわざ2本にしてあるが、その分弛緩して、岡本らしい機知も、リズムもない。だらだらと続くだけ。理由は、五木の原作がつまらないからではないか。
戦中派小林圭樹、戦後派ミッキー安川、戦無派(なんて言葉もあったが、今は死語だろう)の岡田裕介の3人が、1970年の大騒動の新宿で夜を過ごし、そこからそれぞれの家、恋人、会社等を捨てて放浪に旅立つ。
確かに、この頃、そういう放浪への憧れはあった、映画『イージーライダー』のように。
沢木耕太郎の『深夜特急』のアジア、ユーラシアの放浪がその典型だろう。
だが、このムードを上手く映画化したのは、山田洋次、渥美清の『男はつらいよ』だった。
大体、主役3人の内、小林圭樹だけがプロで、他のミッキー、岡田の2人が素人と言うのがあんまりである。
原作は、確か新聞連載で、相当に戯作的だったはずだが、そうしたものは、森繁久弥、三木のり平らの『社長シリーズ』でも分かるように、上手い役者がやらないと様にならないものなのだ。
そして、ともかく放浪の果てに博多に行き、スラム街の住人たちと騒動を起こすが、少しも弾まない。
当時博多に、あんなスラムがあったわけはなく、広島の原爆スラムをモデルに作ったロケ・セットだと思う。
唯一面白いのが、女ボスの市川翠扇で、数少ない映画出演である。他は、篠田正浩の『無頼漢』くらいしかない貴重な映像。
どちらの篇でも、小林圭樹が春歌と軍歌を歌い、ここだけは救われるのは、さすがである。
芸の力は誠に恐ろしい。
3人のほか、主演女優は藤岡麻里という子だが、他で見たことがない。
また、水原ゆう紀らしい少女も出ているが、台詞は声優が吹き替えているように聞こえる。タイトルには、語り小沢昭一とあるが、今回の放映ではなし。
公開時にはあったが、その後やめたのか。小沢も、いくらなんでもひどい映画だと切ってもらったのだろうか。
ともかく、この時期の東宝はひどい。
東映は、ヤクザ映画から『仁義なき戦い』の実録路線に転換し、日活はロマン・ポルノに移行し、意気盛んだった頃。
東宝では、『戦争を知らない子どもたち』などを作っていた。
黒澤、堀川等のベテランにはお引取りを願い、戦後入った若手に移行させていたが、上手く行かなかった。戦中派等で腕の立つものは、みなテレビに行ってしまっていた。
東宝は、映画制作を出来る限り減らし、子会社の東宝映像、東京映画、宝塚映画、青灯社、芸苑社等に作らせ、配給するという体制に移行しつつあった。
1972年の東宝の公開作品のメインは、勝新太郎の勝プロ作品ばかりだった。ゴールデン・ウィークも勝プロの『子連れ狼』と『新兵隊やくざ』である。
これが、回復するのは、1973年の『日本沈没』のパニックもので大ヒットを得てから。
その後、『華麗なる一族』等の大作もヒットする。
岡本喜八自身も、この頃が一番底で、その後晩年の佳作を作るようになる。
日本映画専門チャンネル
コメント
心配。
このプログの更新ばかりに熱心ではないですか?
老婆心ながら。