映画プロデューサー岡田裕氏の『映画・創造のビジネス』を読んでいたら、映画監督藤田敏八の名前の真相が書かれていた。
藤田は、監督デビュー作として民芸映画社で『非行少年・陽の出の叫び』を作った。
これは、民芸作品だったので、鈴木達夫など、記録映画のスタッフ(役者として黒木和雄も出ている)が作ったので、岡田氏は予告編担当助監督として現場に行き、予告編を作った。
ところが、彼は、藤田監督の名前の本名の繁夫を繁也と間違ってしまった。
岡田氏が恐縮して謝りに行くと、藤田は、
「繁也もいいなあ」と言って問題にしなかった。
その後、彼は繁男、繁也になり、最後は敏八になった。
名前なんてどうでもいい、という彼の浮遊的な作品そのものなのだろう。
その真相は、藤田の当時の夫人が姓名判断に凝っていたからだそうだ。