一人息子の田中健を、婚約者大竹しのぶとの結婚の直前に、通り魔に殺された鉄工所主若山富三郎が、犯罪被害者補償法を作るまでの苦労を描く実話。
若山の妻は、高峰秀子で、1979年の彼女の最後の映画出演作品となった。
これに出たのは、脚本・監督が木下恵介だからだろう。
木下恵介の作品の常で、最初の30分くらいが、テーマが明確にならず、余計な描写が多いので、少し退屈する。
だが、田中が殺され、当初はただ悲嘆にくれていた若山が、全国の被害者を訪ねて歩くあたりからテンポが出て快調になる。
被害者家族として、藤田まこと、吉永小百合、野村昭子らが出る。
そして中村玉緒に会い、被害者補償法を研究している大学教授加藤剛に行き着く。
加藤剛は言う、
「通り魔殺人は、一定の割合で起こる風土病みたいなものだから、国が税金で補償、救済するしかない」
確かにその通りで、犯罪被害者を国が補償するのは良い。
だが、意外なことに、理由なき殺人、通り魔的殺人は近年、日本では減少し、家族間、家族内の殺人が多くなっているのである。
これは、当然で、精神的疾患による通り魔殺人は別にして、人が他人に対して著しい不快感を持ったとしても、それが殺人にまで行くのは極めて珍しいからである。
なぜなら、他人は、他人で、嫌なら離れてしまえばよいからである。
だが、そう簡単には、離れられないのが、家族であって、その結果殺人に至るのである。
最近、しばしば報道される幼児虐待等で、「なぜ肉親なのに殺人を」と言われる。
だが、肉親であるため容易には離れられないからこそ、互いに激しく葛藤し、感情がエスカレートしてしまうのである。
さて、作品としては、木下恵介にしては、あまり心に迫るものはない。
それは、木下恵介は、本来きわめて冷酷なリアリストであり、その面が十分に出ていないからだと思う。
1シーンだけ、さすがに若山富三郎と思ったのは、過労から失明状態になった若山が、新横浜駅の新幹線ホームからの階段で足を踏み外して転落するところで、柔道高段者だけあって、大変見事な受身を見せている。
岡崎宏三のカメラが美しい。
衛星劇場 高峰秀子特選