吉野町の町内会館にアイヌ男性の大きな写真のポスターが前から貼ってあり、「これは何か」と見るたびに思っていた。
局から参加の案内も来たので、夕方南公会堂に見に行く。
北海道白老町の財団法人アイヌミュージアムの出張講演会で、横浜国大や蒔田中学の先生の仲介によるものらしい。来年、横浜の公立中学としては初めて蒔田中が北海道に修学旅行に行くので、そのお勉強でもあり、学校関係者が多い。
まず、ミュージアムの学芸員によるアイヌの歴史、文化についての講演がある。
私の理解では、アイヌは日本全土を覆っていた縄文時代人の末裔である。それが、中国華南に始まった弥生文化が、米作を持って日本本土への進出してきて、縄文人と文化は日本の北と南に追いやられ、アイヌと沖縄になったはずだ。
東北地方までいたアイヌは、平安時代以降、歴代権力の武力で次第に北方に追いやられる。だが、鎌倉時代には、蒙古、元の攻撃に際しては、アイヌが独自に元と戦ったこともあり、江戸時代まで、狩猟捕獲物による交易も中国、ロシアと行われていたそうだ。
明治以降の「同化政策」により、言語、文化は日本本土と同じようにさせられ、現在は、約2万3千人くらいの方がいるそうだ。
さて、第二部はアイヌの歌や踊りになる。
様々な踊りと歌が演じられた。
一般的に言って、こうした民族舞踊、歌といったものは、見て大して面白いものではない。
それは当然で、民族舞踊等は、本来その集団の成員に向けて、祭りや儀式に行われるもので、第三者に見せるものではないのだから。
鑑賞用としてなると、芸術的に洗練、あるいは劇化されるようになり、時には観光ショーにさえなる。
今あるかは知らないが、伊豆大島のアンコ・ショー、ハワイのポリネシアン・ダンスが典型だろう。インドネシア・バリ島の舞踊にもそうした傾向がある。
音楽的に言えば、ベトナムやタイ等の少数民族のLPにあったものに似ているように思えたが、安易な比較は慎むべきだろう。
家に戻り、全く関係ないが、池内友次郎の『弦楽四重奏曲』を聞く。ドビッシーを思わせる響きが快かった。