映画『不連続殺人事件』が作られた頃のことは、よく憶えている。
知り合いの友人がシナリオを手伝っていたと聞いたからだが、それは一時中断し、その後再開するなど様々な紆余曲折の後、メジャーには売れず、結局最後はATGに売ったと聞いた。
そのとおり1977年に、このメジャーのような、角川映画のような、少々場違な感の推理映画はATGで公開されたのである。当時それほどまでに日本ATGは、困窮していたのだろうか。
1960年代に日本ATGが興隆した大きな理由は、その作品が、「芸術エロ」だったことにある。
映画史的に見て、1960年代で最も大きなことは、ピンク映画が全盛だったことである。
この潮流には誰もが逆らえず、松竹でさえ、武智鉄二に『白昼夢』を作らさせるなどした。
その中で、ATGが日本人の監督作品で当ったのは、それが「芸術エロ」だったからだ。
ピンク映画を見に行くのは、恥ずかしい、だがエロっぽいものも見たい、そうした欲求に一番最適の映画が、ATGだった。
これなら、芸術映画を見るとして、大威張りで行けた。
だが、日本ATGの最大のライバルが1971年秋に現れた。
日活ロマンポルノである。
メジャーなスタジオ、一流のスタッフ、さらにかなり美形の女優によって作られたロマンポルノは、画期的なほどの観客を動員することになり、ATG映画に大きな打撃を与える。
そして、日本ATGが取ったのが、大衆化路線である。
その中から、『もう頬杖はつかない』『青春の殺人者』『サード』等の秀作も出て、ヒットした。
『もう頬杖はつかない』は、ATG公開の後東宝系で一般上映されたほどである。
この『不連続殺人事件』は、日活で大ヒットの『花の応援団』を作った曽根中生監督で作られた。
原作は坂口安吾で、戦後推理小説の名作とされ、曽根は昔から作りたかったものだそうだ。
主人公内田裕也を初め、夏純子、伊佐山ひろ子、桜井浩子、瑳川哲郎、小坂一也、内田良平、金田竜之介、殿山泰治と大変豪華なキャストになっていて、角川映画での市川崑作品にも劣らないほどである。
だが、全く退屈で面白くない。
多分、それぞれのスターの顔を立てたため容易にカットできなくなったのだろう、映画に切れがなく、もたもたしている。
この辺は、手際よく話を運ぶ市川監督のうまさがよく分かるものである。
最後の小坂一也探偵の謎解きも、小坂の台詞がのろいので、納得できない。
ともかく曽根中生としては、あまり自慢できる作品ではなかったと思う。
だが、売れっ子の彼は、横山やすし映画や、スケバン実録で大当たりする。
しかし、その後ヤクザとの揉め事に巻き込まれ行方知れずとのこと。
20世紀後半の日本映画界で、数奇な運命をたどった人の一人だろう。
川崎市民ミュージアム