今年も良い傾向

昨年の東日本大震災は、悲惨な事だったが、その結果、一つだけ良かったことがある。

それは、クリスマス・イルミネーションなるバカバカしいことがほとんどなくなったことである。

一昨年まで、一時は、都市部では大流行で、地域のほとんどの家で、争うように行われていたなどの信じがたいこともあった。

第一に電力の無駄使いそのものであり、およそ馬鹿げたことである。

当時、南吉田町を夜歩いていると、滝のようなイルミネーションがあって、びっくりした。

まるで、キャバレーの装飾のようで、

「いつこんなところにキャバレーができたのかな」と思い、その前に来ると普通の家なのであった。

まったくよくやるよ、と思ったが、今年は昨年に引き続き、このバカ騒ぎはほとんど見ない。

勿論、個々の店や商店街などが、人寄せ、賑やかしでイルミネーションをするのは、程度の問題だが、やるのは商業政策の問題であり、それは自由で、否定しない。

私が問題だと思うのは、普通の家が、用もないのにする無駄な照明のことである。

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コメント

  1. chaos より:

    Anchi横浜の者ですが
    確かにやりすぎはうんざりだけど、
    普通の家が電飾飾るのも「個々の自由」だからいいんじゃない?毎年それが楽しみでX’masを待っている人もいるんだから。
    お役人さん、やはり頭がコチコチで固くない?
    何だかつまらない侘しい人生送って来たねアンタ。

  2. 本来自由ですが
    クリスマスは、家で「自分たちの幸福を密かに噛み締める」と言ったものだと思う。
    それを、「家は幸福ですよ!」と電飾で大宣伝しているのが不快で、バカバカしいのです。
    あんなものを待っている人がいるの?
    節電はどうなったの、夜間電力は余っているにしても。

    「役人イコール頭が固い、そして侘しい人生」という図式の方が、想像力が不足していやしませんか。

    黒澤の映画『生きる』の時代ではない。

  3. uhgoand より:

    ついこの間なかった昔
    キリスト教徒でもなく仏教徒でもなく神道徒でもない日本教信者がクリスマスをどのやうに何を祝うのか?(イベント、行事なら人としてそれなりの目的、意味があるだらう)。

    生誕を祝う?(なら身内で室内で厳かに)
    子どもを喜ばせたい(それも家内で静かに楽しく)
    電飾で家をきらびやかに飾りたい?(それはもうクリスマスではなく単なる騒動、他人に見せるものではないだらう、飾りたいなら家の中で)

    昨日新聞記事に、聖地エルサレムでさえツリーも何も特別の飾りはしていないとの特派員報告があった。

    民主主義国では思想信条、信教、言論の自由等々が保証されているが、そこには自ずと秩序、法則があり好き勝手に何をしてもよい自由ではない。好き勝手何をしてもよい自由なら無法世界であり、それは禽獣の世界で弱肉強食の世界であって人間世界とはいえない。

    クリスマスもバレンタインデーも母の日父の日たかだかこの40~50年まえ進駐軍がもたらしたもので元々日本にはなかった慣習である。
    盆正月結婚式秋祭り葬式法事が日本人の年間主要行事だった。母の日父の日がなくても年始や事毎に感謝していたし、クリスマスはキャバレー、クラブの集客のお祭りであっで家庭でするものではなかった。

    バレンタインデーしかり、女性が男性に気持ちを打ちあけるのは今も昔(戦前、大正、明治)もあったし,禁じられているわけでもなかった。
    このやうな歴史、慣習を知らないこと、あるいは知らうとしないことの方が問題と思ふが。何のために祝うのか、騒ぐのか無目的にするならそれは先の禽獣世界であらう。

    なお、「頭がコチコチで固い」ことと役人との因果関係はなく、また「民間人は頭がヤワヤワで軟い」ことの因果関係もないだらう。これは個々人の来し方の問題で職種の区分によるものではないと思ふ。