拙書『黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避』を現代企画室から4月に出して約半年がすぎた。
いろいろな反響があり、概ね好意的な評価で、大変うれしく思ってきた。
最近も二人の方からご感想をいただいた。
一人は、20代のとき一緒に芝居をやっていたときの仲間の一人Sからで、10年ぶりくらいで手紙だった。
彼の実家に盛夏見舞いを出しておいたところ、実家から独立し自宅にいて、ずっと葉書を見ていなかったが、今回読んで感激したと書いてきてくれた。
黒澤映画で、よく理解できなかったところがわかったとのことだった。
また、これはまったく知らない女性Sさん、『七人の侍』での稲葉義男が演じた五郎兵についてホームページを作られている方で、私がその掲示板に書き込んだところ、わざわざ本をお読みいただいた感想を、私のホームページにいただいた。
それによれば、「日本映画を見るすべての人が読むべき本だ」とは大変過分なご評価だが、東宝という会社には、「清く正しく美しくだけ」だけではない裏面史があったことは初めてお知りになったとのこと。
それは、映像作家で代官山でのトークイベントの司会をやってくれた金子遊さんからも、「その辺が非常に面白くて大変勉強になった」と言われた。
「日本映画史」の本を読めば出てくる事柄だが、普通の映画ファンは、そこまで読まないのは当然なので、一応商業的出版本で、そのあたりをかなり詳しく書けたのは、あの本の歴史的な価値だと思っている。
一方、「円谷英二と黒澤明が直接関係あると思って買ったが、全然関係ないじゃないか」とのご批判もあった。
しかし、円谷特撮の淵源は、東宝の「軍事マニュアル映画」の製作にあり、そうした東宝の体質が黒澤が徴兵されなかったことに強く関連しているので、無関係ではないのである。
つまり、撮影所長の森岩雄は、陸海軍に協力し、軍事マニュアル映画を作る一方で、それを利用して多くのスタッフを戦争から守ることをしていたのである。
それは、折角日活からスカウトしてきた俊英監督の山中貞雄を中国大陸で失ってしまったことが大きかったのだと思う。
「第二の山中を出すな」との思いが、『姿三四郎』を作った黒澤明を徴兵から守ったのだと思う。
その意味で、言うまでもなく黒澤明を徴兵から逃れさせたことはきわめて正しいことなのである。
そうではなく、もし黒澤明が昭和18、19年ごろに徴兵されて、戦場に行っていたら、慎重180センチの大男は敵軍の銃弾の格好の餌食になり、われわれは処女作『姿三四郎』という秀作を1本だけ作って死んだ監督になってしまったのかもしれないのだから。