言うまでもなく太宰治の遺作であり、未完の小説である。
1949年には、島耕二監督、高峰秀子、森雅之主演で映画化されていて、その準備の際に、高峰とプロデューサーの青柳信雄は太宰と鎌倉の料亭に太宰を招待していた。
高峰秀子の『私の渡世日記』によれば、
太宰は「ドブから這いあがった野良犬の如く貧弱」で、「もっと呑ませろィ、ケチ!」と叫ぶ酒乱だったとのこと。
太宰としては、とんでもないところを見られたわけだが、当時はただの女優で、後に大名文家となる高峰を知らなかったので、仕方のない醜態だった。
映画『グット・バイ』では、主人公の森雅之が、急に結婚することになる。
だが、付き合っている8人の愛人と別れる女性とのやりとりの件がドラマにされていて、最後は結婚相手が実は高峰秀子だったというやや意外な結末になっていたと思う。
ここでは、主人公の大学の黄村先生は段田安則で、彼が広告を出して募集し、8人の愛人との関係を断つために起用された女性三舞理七が、蒼井優。
本当は、この仕組みを企み成功させて自分も大学助教授になろうとしている、蒼井の恋人が柄本祐、
二重廻しの男が高橋克実、屋台のおでん屋のおやじが半海一晃、流しの歌手が山崎ハコ。
作は北村想で、演出は寺十 吾(じつなし さとる)、美術が松井るみで、音楽は坂本弘道。
マンガのようなスケッチ風の美術の簡素な舞台に、どこか懐かしい音楽が流れ、静かな台詞劇が展開される。
全体の感じとしては、舞台の簡潔さ、起伏のないドラマという点では、別役実作品に似ている。
それをさらに庶民化し、別役戯曲の哲学的自問自答の代わりに、小説、映画、音楽の蘊蓄を混ぜた劇とでも言うべきだろうか。
黄村先生が言う「愛人は短編小説で、結婚は長編小説を読むことだ」等の台詞が面白い。
次第に黄村先生と学生運動時代の同級生で、後に貧乏生活の結婚をするがすぐに死んでしまう妻とのことが分かってくる。
蒼井優は、いきなり開幕の冒頭での啖呵のような大声の台詞から、日常的なやりとりまで、とてもうまくて、この女優はなんでこんなにできるのだと改めて驚く。
段田の良さはもちろん、高橋克実の豪快で、無頼派の小説家、それはエッセイストとかライターと称するような現在の軽くて普通人である小説家とは正反対の、絶滅危惧種の昔の文士が大いに笑わせてくれる。
また、段田から「800年はやっているだろう」と言われる屋台のおでん屋の半海も、おでんのようにとても良い味を出している。
最後、8人の愛人との別れができて、蒼井とも別れの夜、亡き妻の誕生日に、多分唯一買ってプレゼントしたであろうパラソルを先生は買い求めて、蒼井に贈ろうとする。
蒼井は、8人の愛人すべてに会い、実は皆愛人ではなく、生活の面倒を見ていた関係だったことを明かす。
蒼井が去った時、おでん屋のおやじは先生に言う。
「あの子だって、先生が来るのを待って町の角で泣いているよ・・・」
言われて行った先生の前には、蒼井がいて、彼女は言う。
「長編小説の続きを読んでくれますか・・・」
久しぶりに見た、自然と涙の出る心にしみる舞台だった。
今年の芸能界最大の話題は、『あまちゃん』の能年利奈で、彼女は平成の高峰秀子になるかと思ったが、やはり彼女ではなく蒼井優だったことが分かった。
三軒茶屋シアター・トラム