『珠はくだけず』

初期のカラー映画、1955年の大映作品、原作は川口松太郎で、監督は田中重雄。
いきなり、明方の大雨の中、柔道場で激しく戦っている菅原謙二と根上淳。
二人は兄弟で、この道場の持主は炭鉱会社社長柳永二郎、多くの社員がここで鍛えていることが後でわかる。
二人の戦いが終わり、「俺は会社を辞める」と言って根上が去って行った時、家から走り寄って来るのが若尾文子で、柳の一人娘。
この若尾をめぐっての菅原と根上、さらに別の炭鉱会社の若社長の船越英二が繰り広げるドラマである。
会社を辞めて、根上はなんとジャズ・ドラマーになっているのだが、それも不満で、いい加減な態度で、バンド・リーダーのジョージ・川口からは落第を宣告されて、川崎敬三に取って代わられる。
この根上、菅原兄弟の母親は、田園調布でクリーニング屋をやっている三益愛子で、彼女には長男で医師の三田隆、二男で茶道家の品川隆二、さらに洋服デザイナーの藤田佳子がいる5人兄弟。
当時は普通のことで、実は私も5人兄弟である。
いろいろあるが、最後は若尾と根上は結ばれ、船越英二も、遊びだったのを改心して、付き合っていた藤田佳子と一緒になる。

この話を見ていて、思い出したのは、西武鉄道の創始者堤康次郎家のことだ。
パシフィコ横浜にいた時、インターコンチの社長堤猶二さんとお食事したことがあるが、彼の父堤康次郎氏は、柔道が大好きで、家に柔道場があり、毎日稽古をさせられるのが非常につらかったとのこと。
堤義明氏は、柔道も強そうだが、堤猶二氏は、体も小さかったので、柔道は大変だったと思う。堤清二氏がどうだったかは、聞きもらしたが。
しかし、この堤家にジャズ・ドラマーになるような息子はいず、むしろ川口松太郎家の長男で、後にスターになる川口浩の方が、根上淳が演じた役に近いようだ。
そう考えると、この話は、堤康二郎家と川口松太郎家をモデルにして、混ぜたようなものになっているのではないだろうか。
一番印象に残ったのは、強奪からたまたま取り返した若尾文子のハンドバックの中を根上が見ると、根上の写真があり、裏には「馬鹿」と書いてある。
その後、若尾に秘かに戻って来たバックの中の写真には、「救われぬ」と書き加えられている。
ラスト近くで、若尾が根上に言う。
そこに「馬鹿と馬鹿」と書いたというのだ。
「救われぬ馬鹿と馬鹿」
これは大映的ではなく、脚本の松山善三のセンスだろうと思う。
ジャズやドラムや不良少年など、石原裕次郎・慎太郎兄弟の「太陽族」ものが大ヒットする直前の時代の雰囲気を今に伝える作品として大変貴重だと思う。
因みに三田隆は、作家国木田独歩の孫で、その娘は、羽仁進の映画『午前中の時間割』に出た国木田アコだそうだ。
フィルムセンター

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