今朝、日本映画専門チャンネルで放送された『ある大阪の女』を見る。
1962年に、宝塚映画で作られたものだが、1936年に作られた溝口健二監督、山田五十鈴主演の『浪速悲歌』をリメイクしたもの。
監督の須川栄三、主演の団令子が関西の出身なので企画されたものだとのことだが、周りの役者も、小沢栄太郎、山茶花究、川崎敬三の達者な連中に、勝呂誉、黛ひかる、初風淳らの若手を配置したもので非常に良い。
冒頭の大阪球場の南海・西鉄戦のダフ屋として藤田まことが出てくるのも笑わせてくれる。
南海の投手としては、スタンカや皆川の投球が見られる。
さて、このリメイク版の中で、団令子がビア・ガーデンで川崎敬三に言う台詞がある。
彼女は遠くに林立するビルを見て、
「あるところにはあるものね」と自分たちに金のないことを嘆く。
この1962年は、経済の高度成長が始まった時で、こうした時期には格差が生じるもので、成長から取り残された連中は、悲劇の主人公になる。
そう考えると、溝口健二版が作られた昭和11年も、満州事変から満州国建国による軍需景気で、日本経済が上向いていた時代であり、山田五十鈴一家はそこから取り残された連中だった。
優れた悲劇は、時代を鋭く反映するものであることがよくわかる。