『ロッパの水戸黄門』とテレビドラマの黎明

早稲田大学26号館で、「『ロッパの水戸黄門』とテレビドラマの黎明」が行われた。
26号館なんてどこだと思うと、かつて第二学生会館があった場所である。これは新学生会館として、堤義明が寄付してできたものだが、誰も入らない内に大学紛争になり、過激派によって占拠され、1970年の封鎖解除の時には機動隊との間で大攻防戦が行われて廃墟になってしまったところである。
もう、60年前のことだから関係ないのだろう。
さて、古川ロッパにテレビの『水戸黄門』があったなど知らなかったが、それもそのはず関西の毎日放送でワンクールだけ放送され、その間に古川ロッパが死んでしまったので、どこでも放送されなかったからとのこと。
今回は、フィルムを所有していた方から、関係者を介して大阪芸術大学の太田米男先生のところに「フィルムが臭くて堪らない」との話があった。
京都花園の黒沢さんの家は農家だが大地主で、このテレビドラマ制作に出資した。新星映画という名称で、かつての左翼独立プロの新星映画社と関係があるか否かはまだ不明とのこと。
監督は東宝系の小田基義で、ロッパも当時は東宝専属だったが、まさに晩年で日記を見ると日々文句と愚痴ばかりだが、実際の映像で見るとかなり痛々しい。本当にロッパはよたよたしていて、アクションシーンでは吹き替えも使っているようだ。何しろ糖尿病と結核でひどかったらしい。

水戸黄門なので、助さん格さん、さらに狂言回しのヤクザのような男も出てくるが、日記の記述だと皆松竹の新人連中とのこと。
この日は、第1話と2話、さらに13話が上映されたが、「第1話と2話は本当にこの程度でも放送したの」というでき。
当時のロッパの日記には、新東宝や富士映画に出ると、「昔の大都映画のレベル」という記述がよく出てくるが、これは大都映画以下。
なにしろ、太田先生のお話では、東宝は京都にスタジオがなかったので、オールロケ、オールアフレコで、1日30カットというスピードで撮影し、アフレコは仮設の小屋でやった。
フィルムのループもできていなくて、流しでアフレコしたので、声と映像がほとんど合っていないのが凄い。
また、ライトのスタンド予言をする竜神の木像があるのだが、その顎と舌を横で操作している男の姿も見えている。
先生によれば、当時のテレビの受像機の画面は相当に丸くて端は写らなかったので、「これで良し」としたとのこと。
一応音楽が付き、編集は宮田味津三となっておるので、近くの大映スタジオで完成処理はしたのだろう。
ただ、13話は、村人の誤解によって金鉱探しの三人組が水戸のご老公一行に取り違えられているところに、ロッパたちが来て、「お前たちは偽物!」として打擲される。
だが、古川ロッパは、「偽物でも、彼らが代官の悪行を糺し、農民が喜んでいればそれで良い」とするのはなかなか皮肉だった。
なぜなら、戦後のロッパは、森繁久彌以下の人気者は偽物だとして、その活躍を常に苦々しく思っていたからで、これは自己批評になっていたからである。
早稲田大学演劇博物館事業

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