池袋の新文芸坐で鈴木清順の『悪太郎』と『悪太郎伝・悪い星の下でも』を見る。あまり人気のない作品なので、場内はガラガラだった。
どちらも、今東光原作の中学時代の自伝的小説を基にしていて、バンカラだが、小説好きの少年山内賢を主人公とするもの。
両方とも相手役は和泉雅子だと思っていたら、二作目の山内の恋人役は野川由美子になっていた。
これの理由はよく分からないが、多分和泉雅子が人気が出て、他の作品に出るため、野川を代わりに恋人役にしたのだと思う。
一作目で、和泉雅子の友達役は田代みどりで、最後に彼女から、上京して浅草辺の不良少年になっている山内のところに、和泉が死んだと知らせる手紙が来るところは、涙が出た。
青春とはなんと悲しく、儚いものなのかと。
そして、この二本では、まだ山内賢が少年なので、あまり明確ではないが、鈴木清順映画の主人公は、ひどく孤独なことに気づいた。
その代表が、渡哲也が『東京流れ者』で演じた哲也で、彼は、北竜二の組長にも裏切られて、日本中を彷徨う孤独な殺し屋になる。
このひどく孤独で、逆に言えば一人で自立した男、というのが当時から現在に至るまで鈴木清順映画が人気がある理由だと思う。
それは、言うまでもなく彼の戦争体験によるもの、一種のニヒリズムから来ているのは間違いないだろう。
どちらも木村威夫の美術が素晴らしい。一作目の最後、浅草に出てきてヤクザと喧嘩する山内の奥の方に、お会式の万灯の光と団扇太鼓の音。
浅草にお会式があったかな、と言っては無粋と言うものだろう。
コメント
木村威夫
恩師の伊藤キサクに捧げた木村の著書「わが本籍は映画館」を読みましたが、伊藤と木村の師弟の固い絆が実感でき、木村の美術監督として素晴らしい仕事ぶりも判りました。
それは清順だけでなく
>このひどく孤独で、逆に言えば一人で自立した男、というのが当時から現在に至るまで鈴木清順映画が人気がある理由だと思う。
>それは、言うまでもなく彼の戦争体験によるもの、一種のニヒリズムから来ているのは間違いないだろう。
これは。清順映画の独自性ではなく、清順映画を含めた、日活アクション、日活青春映画の特徴として、清順一人の個人的体験というわけではないことは、おそらく日活ファンに広く共有されていることだと思います。
「世間」に暖かく包まれたヒーローの東映仁侠映画と、「世界」から孤立した日活アクションのヒーローとの、対比で考えると、わかりやすいでしょう。
その通りです
石原裕次郎、小林旭から高橋英樹に至るまで、日活のヒーローは常に孤独な若者でした。
その意味で、ロマンポルノの女優も、この延長線上でしたね。
それは言うまでもなく日活が新しくできた会社であること、さらに堀久作がほとんど映画製作に関心がなかったために、撮影所がほとんど「自由地帯」であったことが大きかったと思っています。