『のど元過ぎれば』 有馬稲子 日本経済新聞社

日経に連載中から大問題になった有馬稲子の自伝である。

釜山からの引き上げ、宝塚入団、大江健三郎とのこと等々については、前に出た本にも書かれていた。

               

問題は、市川崑とのことで、1960年頃にここでは盲腸の手術と書かれているのが、本当は堕胎だろうとのことだった。

映画『愛人』の頃からのことで、この時代まで続いていたとは少々驚く。

この有馬稲子と市川崑との関係は、小津安二郎の『東京暮色』の有馬の役に影響しているのではないかということだ。

よく知られているように、『東京暮色』は、初めは岸恵子で脚本が書かれた。だが、岸が豊田四郎の『雪国』の撮影が延びたので、岸に代わって有馬の出演になった。

そこで脚本が部分的に書き替えられて、現在の作品になった。

『早春』での問題児の岸恵子は、池部良と問題を起こすが、最後はきれいに別れて、ややきれいごとである。

だが、『東京暮色』での有馬稲子は、妊娠して田浦正巳に捨てられた挙句に、自殺のような事故で死んでしまう。

ここまでに書いたのは、小津や野田高梧に、有馬と市川崑とのことが念頭にあったように思えてくる。

市川崑の女狂いは、その後も続いてようで、1963年の石原裕次郎主演の『太平洋ひとりぼっち』の時は、中村玉緒と関係があった。

そのために玉緒と京都で遊んでいた市川崑は、西宮港から密出国する最初のシーンの撮影に来なかったとのこと。

石原プロのプロデューサーの本に書かれていることなので、本当のことだろう。

最も、市川崑は、1983年の映画『細雪』でも分かるように、女優をきれいに撮ることでは日本最高の監督であり、女優たちは彼の才能に参ったのである。

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