1945年夏の杉並の女家族の話。著しく気勢の上がらない映画で、普通戦時中の日本というと、戦争への動員等が描かれ、一億総動員のシーンで盛り上げるが、一切ない。
それは、荒井晴彦の意図だろうが、それも私は一面的にも思える。
というのも、左翼的立場だった関川秀雄監督の1953年の映画『ひろしま』でも、戦時中の総動員ぶりを挙国一致の民衆の姿として描いていたからである。
父はすでになく、19歳の主人公の二階堂ふみは、母・工藤ゆきと二人暮らしで、町内会事務局に勤めている。そこは当時区役所事務の代行をしていて、疎開地への転出、東京への転入などの事務を扱っている。
隣の家には、銀行員の長谷川博臣がいて、疎開した妻子とは別れ一人で住んでいる。
東京大空襲以後、戦況は次第にひどくなり、5月の横浜空襲の後、焼け出された姉の富田靖子がやってきて同居することになる。この姉と妹との食い物に関する争いが凄くて、時には喜劇的でもある。
戦時下で、どこにも何にも喜びのない二階堂は、次第に長谷川に惹かれていき、母も道徳的には否定しつつ、それが女の幸せと思い、仕方ないかなと思い始めていく。
そして、ついに二人は雨の夜にできてしまう。
その前日、二階堂と長谷川は、大森に買い出しに行った帰り、神社でキスしてしまう。
と、「あんたたちなにやっているの!」の怒声。
「神聖な神社でなんということを!」と言われて二人は離れるが、ここは笑った。
最後、戦争は終わるが、二階堂は呟く、
「戦争は終わったが、ここから私の戦争が始まった」
勿論、疎開していた長谷川の妻子が戻ってきたからである。
本当は、こここそ描いて欲しかったことで、戦後の成瀬巳喜男の作品は、『浮雲』を頂点に戦後の「女性の戦争」を描いている。
私が特に好きなのは、1952年の『稲妻』で、高峰秀子の目で、男にだらしない母の浦辺粂子の子供の三浦光子、村田知英子らを描いた作品で、特に三浦光子の駄目さが凄くて好きである。
「成瀬が描いた戦後の女性に比べれば」と言いたくなるが、現在の日本映画ではこの辺で仕方ないのだろうか。
評価できるのは、二階堂のパンツが下履きと言われた木綿のブカブカなものであることなど、時代考証がきちんとしていること。
田舎に疎開しようとするが、実娘に拒まれて結局東京にいることになる石橋蓮司がさすがに面白い。
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