アルマ・マーラー

「巨匠たちのミューズ・アルマ・マーラーとウィーン世紀末の芸術家たち」と題された神奈川県立音楽堂の企画(解説と演奏)は面白かった。
グスタフ・マーラー夫人アルマ・マーラーが、クリムトをはじめ多くの芸術家と関係のあった「恋多き女」だったのは有名だが、他にもウィーンの優れた芸術家と人間関係があったのは知らなかった。
シェーンベルクとは、作曲家として同じ教師についていたり、自分も作曲をしていたが、マーラーとの結婚で諦めたことなど。

そして、わずか11年のマーラーとの結婚の後は、多くの芸術家の「母親」的存在で彼らを育てたことも凄い。
日本で言えば、松竹歌劇団の大スターの後、日活のプロデューサーとして、石原裕次郎をはじめ多くのスタッフ、キャストを育てた、ターキーこと水の江滝子だろうか。

「12音音楽」を作ったシェーンベルグが、ベルリンのキャバレーで演奏していたというのも初めて聞いた。
彼は、現代音楽では武満徹と並び一番好きだが、底には通俗的なところがあると思っていたが、その通りだったのはうれしかった。
ヨハン・シュラウスの名曲『皇帝円舞曲』のシュェーンベルク版が演奏されたが、実に通俗キャバレー音楽で、解説を読み納得した。

マーラーを何故好きかと言えば、一番ワールド・ミュージック的だからだ。
彼の「交響曲第一番」には、カウベルから、街頭音楽、葬送曲に至るまで、巷の音楽や音響がふんだんに取り入れられている。
欧州の辺境に生まれ育ったこともあるのだろう。

アルマの歌曲は、20歳の女性のものとしてはすごいが、特別なものを表現したものではなく、その意味では「お嬢さん芸」に過ぎなかった。
マーラーと結婚し、作曲を諦めたのは正解だったわけだ。

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