松本清張のおかしさ

友人から丹波哲郎の代表作と書いた『砂の器』はひどいではないか、とメールが来た。確かに傑作ではない。田舎の警官加藤健一など、役者が沢山出ていて面白い。

松本清張の原作は、とてもひどいもので、高周波の電子音で人を殺すのだから、信じがたい。
電子音で人が死ぬなら、携帯電話を持っている人間は全員死んでいる。
そのくらい当時は、誰も電子音響に知識がなかったのだ。

原作と映画の一番の違いは、主人公の作曲家が原作では電子音を使う前衛派だが、映画の加藤剛は、古典的(通俗的な)な作曲家であることだ。
前衛音楽家は、黛敏郎のことだそうで、松本清張は大嫌いだったらしい。

さらに、彼の小説で最も変なのは、どうしても映画化したかったという『黒地の絵』である。
言うまでもなく朝鮮戦争中、北九州小倉市内で黒人兵の暴動が起きた事件を基にしている。
おかしいのは、小倉祇園太鼓の音に、黒人の本能が刺激され、暴動になると言うのだから、その非現実性を笑う。
以前も書いたが、本物の祇園太鼓は大変静かな、優雅なもので、映画『無法松の一生』で松五郎が叩くようなものではない。あれは映画のスタッフの創作なのだ。

「太鼓の音で本能が呼び覚まされる」という筋書きは、今日では人種差別と言われるに違いない。
松本清張、さらに監督野村芳太郎らは、日本はおろか、アメリカでの映画化も試みたらしいが、できなかったのも、当然である。

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