今朝の東京新聞の「私の東京物語」で、仁科翔子という脚本家なる人が、早稲田大学の文学部で音響について習った八幡泰彦先生の出身を学生劇団の「自由舞台」と書いていた。
だが、八幡泰彦さんは、自由舞台ではなく、劇団演劇研究会、通称「劇研」の出身で、私の大先輩なのだ。
なぜ、こんなことが起きたのだろうか。
多分、仁科という人が自由舞台しか知らないからではないからではないかと思う。
自由舞台といえば、風間杜夫、加藤剛、山口崇など有名俳優が出ている。SCOTの鈴木忠志も元は自由舞台であり、その後別役実らと早稲田小劇場を作った。
劇研は、やや地味な存在の劇団で、知られていることが少ないのだろうが、堺雅人のほか、鴻上尚史も実は劇研の出身であり、現在は劇団俳小の代表の斎藤真さんも劇研で、私より4年上の方だった。
もう一つ、こだまという劇団もあり、田中真紀子、久米宏、長塚京三などが出ているのだが、現在は存在しないようだ。
さて、自由舞台という名からも分かるように、最も左翼的だったのが自由舞台で、1950年代末まで内部には日本共産党の「細胞」があり、党員が劇団を指導していたとのことである。
一方、劇研は、今村昌平や小沢昭一などもいた劇団で、非左翼的だったようだ。