先週は、土曜日のトークイベントのことで手いっぱいで、この劇についても、内容には何も書けなかった。
全体としてみれば、意外にも面白かったというべきであろう。
劇作家にして、今では岸田戯曲賞にしか名が知られていない岸田国士は、戦後すぐぐらいまでは、大変有名な存在だった。
第一、岩田豊雄、久保田万太郎と共に、文学座を創立した三幹事の一人であり、フランスの戯曲の翻訳を通じて近代劇を紹介しただったからである。
言ってみれば、一種のモダンボーイだったと思う。
だが、彼は戦時中はなぜか日本文学報国会の事務局長になり、戦時体制下の文化振興に辣腕を振るう。
そこにどのような彼の心の屈折があったのかは、私にはわからない。ただ、彼と同様に、英文学者だった伊藤整が、真珠湾攻撃に続く、マレー沖海戦でイギリスのレパルスとプリンスオブウェールスに撃沈を聞いた時、喝采を叫んだ。
むしろ西欧の文化、芸術に親しんでいた分だけ、ある種の近親憎悪のような感情もあったのかもしれない。
そのため、戦後の岸田国士は、やや第一線から身を引いたような立場にいたようだ、ある種のニヒリズムのような。
そうした身の処し方を生きたのは、娘の岸田今日子がそうだったように私は思う。
さて、ケラリーノ・サンドロビッチが、岸田戯曲を取り上げるのは、2007年以来二度目だそうだが、こうした過去の作品を取り上げるのは大変良いことである。
歌舞伎が、数百年にわたる過去の名作の積み重ねに生きているのを見れば、それは容易に理解できるに違いない。
内容的には、『麺麭屋文六の思案』を幾つかの戯曲が重ねられている。
それは、大正末から昭和初期の都会のモダンボーイ、モダンガール達の話で、特に大きなドラマがあるわけでもなく、日常的な恋愛や男女の心のすれ違いと言ったものが描かれている。
その意味では、現在の演劇、映画、テレビで展開されている通俗劇に良く似ている。
また、音楽は、当時の洋楽であり、昭和初期のモダン東京を描いており、その意味では青山で演じられたのは、的確だったとも言える。
意外に役者の演技もまともであり、随分と昔のケラとは違ったのだなと思う。
それは良いことなのか、勿論良いことである。役者では志賀広太郎が当時の雰囲気が出ていて良かった。
青山円形劇場