『絶唱』

浅丘ルリ子、小林旭の『絶唱』を見た。以前見たのは、1966年の舟木一夫・和泉雅子の『絶唱』で、和泉はミス・キャストだと思ったが、この浅丘ルリ子はぴったりだった。

『絶唱』の監督は滝沢英輔で、西河克己の『西河克己映画修業』によれば、滝沢は完全な「順撮り」監督(撮影をシナリオ順にとること。反対が適当に飛ばして同一シーンだけを集めて撮る「なかぬき」である)だそうで、若草山の上と下の芝居があったとき、順に上ったり降りたりしたそうだ。撮影効率は悪いが、西河も映画に力強さが出ることを認めている。それは役者が映画の流れを理解して演技するからだろう。これも長いが、あまり退屈しなかった。

話は、大地主の息子・小林旭と山番の娘・浅丘の身分違いの悲恋で、最後ルリ子は戦時中の過労がたたって結核で死ぬ。旭は、死んだルリ子に花嫁衣裳を着せて結婚式をする、というもの。
最後はまるでネクロフィリア(死姦)の暗喩ではないかと昔見たとき思い、随分グロテスクな感じがしたが、この旭・ルリ子版にはそうした感じはない。
舟木・和泉は、舟木がやや病的なのと、和泉が到底結核では死にそうにない健康体なので、そう感じたのかも知れない。ラストシーンで、旭がルリ子を抱いて森に入っていくが、実に軽々と持っていたが、舟木は和泉の体をやっと運んでいた記憶がある。
いずれにせよ、旭・ルリ子はとても上手い。後に二人の「渡り鳥シリーズ」も、彼らの芝居が上手かったから成立したのだろう。

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