『ひとりぼっちの二人だが』

昭和37年の日活映画。吉永小百合、浜田光夫、高橋英樹ら青春スターに、当時全盛期の坂本九、渡辺トモ子らが絡む歌謡映画でもある。この辺から、日活歌謡映画が生まれ、西郷輝彦、舟木一夫らの作品につながって行く。
監督が何でも作る舛田利雄で、脚本が熊井啓と江崎実生。
吉永が浅草から芸者に出る少女で(当時17歳だが、実に大人びてきれいである)、友人がチンピラの浜田とストリップ小屋の劇場係の坂本。若手ボクサー高橋は、吉永のいなくなった兄という設定。テレビが普及してきた時代で、テレビ中継で肉親を見つけるシーンがある。

とてもテンポが早く、また映像が深くていい。音楽も中村八大で洒落ている。
舛田利雄の青春映画でも最上級だろう。

また、高橋らを脅すヤクザが小池朝雄で、この小池と浜田の兄貴・弟分の関係は、この作品の翌年に制作され大ヒットした吉永小百合・浜田光夫の最高傑作『泥だらけの純情』でのヤクザの構成員につながっていることに気づいた。
いつも書いているが、傑作映画というのは、孤立して出てくるのではなく、ある傾向の作品の連続したつながりの中からのみ出てくるという例の一つである。

この映画のチーフ助監督は江崎だが、その下には後にプロデューサーとなる伊地知啓と岡田裕が付いていた。
岡田は撮影中のある日、日活の助監督を辞めジャーナリストになるため、某新聞社の入社試験を受けに行ったそうだ。
勿論、落ち岡田はその後、藤田敏八の助監督当を経てロマン・ポルノ時代になり、プロデューサーになる。
先日は萩原健一の脅迫事件の原告になり、勝訴しているのは周知の事実であろう。

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